
日本のロックシーンだけでなく、世間にも多大なインパクトを残し、今なお大きな影響を与え続けているバンド、ザ・ブルーハーツ。
ザ・ブルーハーツは1995年6月に惜しまれつつ解散をした。
誰が解散を言い出したのか?
どうして解散に至ったのか?
本人たちが全て明かすとは限らないが、一番信ぴょう性が高いのはやはり本人たちによる「証言」だろう。
当時の音楽雑誌に解散に関するインタビュー記事が掲載されているので、メンバーの言葉を抜粋しつつ、ブルハ解散の理由をまとめたい。
【関連記事】
【河口純之助の現在】河ちゃんのタイムトラベラーズ聴いたら意外に良くて驚いた。
ブルーハーツにまつわる宗教と3人の信者の話
渋谷すばるの1st「二歳」から感じる甲本ヒロトへのリスペクト
ブルーハーツが解散を発表した時の様子
ブルーハーツが解散を発表したのは1995年6月1日の「ミュージックスクエア」というラジオ番組。
メンバーが出演し、番組中打ち合わせなしで突然ボーカルの甲本ヒロトが解散を口にした。
冗談としか思えない流れで言うのでMCの中村貴子も最初は笑って受け流していた。
が、本当に本当だったというある意味衝撃的な発表の仕方だった。
映像作品「ブルーハーツが聴こえない」にこの時のラジオ音声が収録されている。
(「ブルーハーツが聴こえる」という似たような作品は、ブルハの曲をモチーフにしたオムニバス映画)
「ブルーハーツが聴こえない HISTORY OF THE BLUE HEARTS」 (amazon)
MC:「じゃあ、あの最後ね、マーシーさんの曲に行く前にですね、もうここでお別れなので、今後の予定なんかも教えて頂きたいんですけど。今何か決まってることって?」
甲本:「今決まってるのは…解散ぐらいですね。」
MC:「ええ〜!!そんな…(笑) んなこと言わないでよ。今もうラジオの前のファンの人、「え〜!」って驚いてるじゃないですか〜。決まってることは?(笑)」
甲本:「いやほんとは予定ないよねえ。」
メンバー:「うん。」
MC:「何も具体的に…」
甲本:「ブルーハーツの予定はないです。」
MC:「何か具体的にいついつからツアーが始まるとか、そういうのは今のところは…」
真島:「具体的にはね、解散ですね。」
MC:「またそんな(笑)」
甲本:「どうして俺らが言うと冗談にしか受け取ってくれないんだろうな(笑)」
MC:「ええ?(笑)」
甲本:「ほんとなんだよ。」
MC:「ほんとなんですか〜!?ほんとに解散しちゃうの〜!?」
甲本:「うん。」
MC:「いつ〜?」
甲本:「今日。」
MC:「ええ〜!!ちょっと待ってよ〜(笑)」
うん、まぁ、どう考えても冗談としか思えないやり取りである。
リアルタイムでラジオを聞いてた人も、真に受けなかったんじゃないだろうか。
「ロッキング・オン・ジャパン」にラストインタビューが掲載
番組翌月の「ロッキング・オン・ジャパン1995年7月号」に、全員1人ずつのインタビューが掲載されている。
ちなみにこのインタビューは聞き手の山崎洋一郎が何か別の理由でラジオスタジオに来ていて、そのまま解散宣言直後に敢行したらしい。
(↑この情報をどこで知ったかは失念。)
また、この「1995年の解散インタビュー」は、同誌2010年4月号の付録「別冊ザ・ブルーハーツbook」にも再掲されている。
「別冊〜」には解散インタビューの他、デビュー前(1987)、「トレイントレイン」リリース時(1989)の3つのインタビューが掲載されてるので、今中古で探すなら2010年4月号がお得かと思う。
自分が持っているのもこちらの方だ。
解散時のインタビューは「別冊〜」で計12ページに渡って取り上げられている。
(ヒロト5ページ半、マーシー3ページ、河ちゃん2ページ、梶くん1ページ半)
ブルーハーツ解散の原因 ー 解散の引き金を引いたのは甲本ヒロト
解散のキーとなったのは、やはりフロントマンであるボーカルのヒロト。
記事冒頭から言い出しっぺはヒロトである了解の元、話が進んでいく。
解散に至った理由は「ヒロトの心境の変化」で、ざっくり要約すると次の3つ。
そんなキッチリ分けられるものでもないだろうけど、重要度的に大きいと感じるのは ②≧③>①の順。
- ブルーハーツというものが良くも悪くも固まってきたので、今度何かやる時にやりづらい部分が出てきたから。
- 6th「スティック・アウト」7th「ダッグ・アウト」でバンドの可能性を試したら、最高のものができた。同時に「ここが最高でここまでだ」という気持ちになったから。
- 限界を感じたのは、4人で集まった時の空気とかムード。
身も蓋もなく、一言で言ってしまうと
「ブルハに飽きてきたから、新しいバンドやりてえな」
という感じかと思う。
① 「ブルーハーツ」というものが良くも悪くも固まってきたから
1つ目についての引用。
ほら、あまりにもブルーハーツってものが固まってきちゃったからね。いい意味でも固まってたし、固まってないバンドって見てもつまんないと思うから。今度それが何かやるときに、ブルーハーツの新譜として何かをやったりブルーハーツの新曲としてっていうことでやりづらい部分とかあんだよなー当たり前のインタヴューになってますけど(笑)。本当にそうなんだよ。すごい普通にね、まあ10年やってきたら「あきらあな」っていう、そういうことから。
「10年」というのはブルハの活動年数(1985ー1995)。
ただ、次の理由で挙げられる解散のキッカケとなる「STICK OUT」のリリースは1993年2月10日。
そこから考えると、解散を考え始めて気持ちが固まったのは1991年から1992年頃と思われる。
② 「ここが最高でここまでだ」という気持ちになったから
2つ目についての引用。ここはちょっと長めに抜粋。
↓山崎洋一郎に「具体的な解散のいきさつ」を聞かれた際のコメント。(太字引用者)
正直に言おうか?正直に言うよ。えーと…ブルーハーツの中での窮屈っさってものを少し感じ始めて、それで「辞めちゃおうかなぁー」と思った時があったんだ。だけど、ツアーでライブやったりとか、それから4人でレコーディングすることってやっぱり楽しかったんだよ。で、じゃあ辞めちまわないで4人で可能性を拡げていく風にもう1回スタート切ってみてえなと思ったんだよ。じつはそれが「スティック・アウト」と「ダッグ・アウト」を立ち上げるきっかけにもなってるんだけど。
〜
で、結局あの2枚ができあがった時にね、これから可能性っていうよりも「多分このぐらいまでしかできないんじゃねえかな」って気持ちになっちゃったんだよね(笑)。「スティック・アウト」と「ダッグ・アウト」はすごい自分の中でよくできたんだ。すごい良くできたねえと思ったんだ。でも逆に「これが最高、100点満点かもしれないな」って思っちゃったんだよ。そしたら、そんなの続けたってしょうがないでしょう。で、当初の計画どおり僕は「スティック・アウト」と「ダッグ・アウト」をステージの上で具現化して、ブルーハーツっていうものの在り方みたいなのをすごく多くの人に知って欲しかったから、そのツアーはすごく楽しく全うできたんだ。でも、そのあとにつながる計画が思いつかなかった。なんかやりきった感じがしちゃって、ブルーハーツの中では。
[山崎] でも、そういう何かの限界を見るヒロトって初めてだよね。
うん、でも、僕は自分自身の限界は感じてないもん。
[山崎] ということは、この解散はヒロトとブルーハーツの関係のズレが核心なのかな?
うん、大きいと思う。一番大きいと思う。
これは「なるほど」とも思うけど、すんなり納得しにくいところもある。
「活動が不調 → バンド解散」ならともかく、「出来は最高 → バンド解散。」と言われたら、普通は「え?辞めなくてもよくね?」となる。
聞き手の山崎も一度の説明では納得しきれず、繰り返し説明を求める。
ヒロトは言葉を変えて、同じ内容を伝えている。
だから、あの2枚のアルバムを作ってる時の感触とかは、これからの可能性を暗示するものではなく、僕にとってじつは「頑張ってここまでかな」っていうことの認識だったんだよ。「ここまでできたんだから次ももっとすごいの!」っていうんじゃなくて「ここまでできた、もういいじゃないか!」っていう気にもなっちゃったの。
で、もう一歩踏み出す時に、例えばブルーハーツってのが大きなステップだとしたらーちょっと話が飛んじゃうけども、地球がビッグバンでバーンっとできるじゃない?その0から1になった瞬間って、ものすごい、なんかもう嬉しいような、楽しいような(笑)、不安なんだけどすごく面白いでしょう。
で、そこから1になって、そして10年間頑張って1.5になり2になった。それはそれなりに楽しいし、それをもう10年間頑張ったら3になるかも知んないけども、あの0から1になった感じって、なかなか滅多に味わえないよね。そんで、僕もう一回なんか0が1になるような気がしたんだよ。
でも、そんときに「スティック・アウト」と「ダッグ・アウト」を作った時の達成感ってのは、0が1になる達成感ではなく、1が1.5になってみたりするちょっと良くなったっていう感じだったんだよね。それは同じステップの中に居たの。右足を階段に踏み出しました、左足を次のもう1コ上に置きたかったんだけど「左足もその段に乗りました」程度だったんだよ(笑)
山崎のリアクションは「欲張りだなぁ」。
それに対してヒロト「うん、欲張りだよお。だって他に信じられるものはないんだもん、自分の欲以外」。
ほんとに欲張りだと思うし、ほんとにヒロトらしいと思う。
自分の身体の声を聞き漏らさず、素直に受け入れて行動する。
ヒロトは次の方向性を考える中でバンド以外の方法で色々な人とデモを作成。
でも、「その楽しさもバンドに敵わない、やっぱ新バンドだ!」と気持ちが固まっていたようだ。
③ 限界を感じたのは、4人で集まった時の空気とかムード
最後に3つ目についての引用。
ここではブルハを古女房に例えてる(あくまで、実生活ではなく例えの話と念を押しつつ)。
[山崎] その0から1の爆発力をもはや持てないんじゃないかって感じは、ブルーハーツのどういう部分なんだろう?演奏力とか置かれてる人気バンドとしてのポジションとか、そういう部分なの?
いやポジションとかじゃないな、違うと思う。う〜ん………やっぱムードだよね。ブルーハーツの4人が集まった時の空気だとかムードだとか、それはもう変えがたいものがあって、そこに僕は一番限界を感じてた。
[山崎] どういうことなの?
それは説明すんの難しいなあ。倦怠期の夫婦見てえなもんじゃねえかな(笑)。そりゃ離婚して若い嫁さんもらった方が絶対いいじゃん(笑)
〜
例えば俺は古女房と暮らしながら「こいつ気に入らねえな、もうブン殴ってやろうかな」と思いながらも、我慢できるんだよ。我慢できるの。そんでそれなりに毎日暮らせると思うんだ。ぜんぶこれバンドに置き換えて解釈してくださいね。だけど、新しい好きな女ができたら走っちゃう!
ブルハの演奏力やポジションの問題については関連を否定。
記事冒頭でも「うまい下手とかじゃないんだ。下手な方がいい場合もあるでしょう(笑)」と言っている。
(「下手だから売れない」と言われてたのに伝説になった本人が言うと説得力が違う)
また、「メンバーとの人間関係」についても否定している。
人間関係は悪くないよ。えーとね、僕が見えてなかっただけで、もっと悪い時期があったかもしれないけども、今は別に無理してニコニコ付き合うとか、そういう感じでもないし、4人のムードはもう今さっきのありのままだよ。全然そんなことじゃあないんだよ(笑)
ブルハの解散は「一つの致命的な問題が引き起こしたわけじゃない離婚」みたいに受け取れるんじゃないだろうか。
繰り返すと、これが本音か、本音の全部かはわからない。
ただ、ハイロウズの時と比べたら、すごく自分の気持ちの全容を伝えようとしていると感じる。
ハイロウズの時はリアルタイムだったが、ほとんど全く解散理由(正確には活動休止)についてコメントしていなかったはずだ。
ブルーハーツ解散理由以外の内容
いくつか目ぼしいコメントをピックアップ。
メンバーに解散を告げた時の経緯と3人のリアクション
ヒロトはツアーの最中にメンバーに解散を持ちかけている。
正確には「バンド解散」というより、「ヒロトがバンドを抜ける」という言い方だったようだ。
夜中に1人ずつ呼び出して「違うバンドをやりたい。違ったメンバーとも演奏してみたい」と。
のちに、マーシーとはハイロウズで再度組むが、この時点ではマーシーとも決別する話だったようだ。
メンバーの反応は驚いていたけど、結構すぐわかってくれ、「じゃあヒロト辞めるんなら、解散だね。」となったという。
あまりに簡単に受け入れてるようにも見えるけど、これはドラムの梶くんもインタビューで言っていたように、信頼の裏返しでもあると思う。
ブルーハーツをやってきて1番イヤだったこと?幸せだったことは?
ヤなことは思い当たらないなあ。イヤなことがあっても、すぐ忘れちゃうんだよ。
〜
良かったことはいっぱいあったんじゃないかなあ。
だから、それはすべてのアルバムに対していまでもやっぱり愛情あるしね。
〜
愛すべきバンドだよ。僕にとっては絶対に忘れられない。
他のメンバーのインタビュー内容
この記事の主旨は解散理由についてで、ヒロトの言動がその全てなので、ここでは割愛する。
一言でまとめると、みんな淡々と「解散についてどう思うか、今後どうするか」について話している。
山崎は「解散を記念したインタビューなのにすっかりドライなものに」と言っていて、その言葉通り、前向きであっけらかんとした雰囲気が伝わってくる。
ブルーハーツの宗教問題ーベース 河口純之助と幸福の科学について
ちょっと唐突に話が変わるけど、「ブルハ・解散の原因」で思い浮かべるのがやはり河ちゃんと幸福の科学なので。
インタビューを読むと因果関係はないようだが、一応この点についても触れておきたい。
少し自分の考えも交えて書いている。
ヒロトとマーシー/河ちゃんの宗教観の違い
河ちゃんが宗教団体「幸福の科学」に入信しているのは周知の事実。
解散時のインタビューでも「河ちゃんにとってブルーハーツの10年間は?」との問いに
「一番の変化は幸福の科学の大川隆法先生に巡り会えたこと。バンドとは比べものにならないくらいデカイこと」
と回答。
解散後にリリースされたラストアルバム「PAN」でも河ちゃんは宗教色全開の「幸福の生産者」などを歌っている。
噂される「河ちゃんがファンを勧誘したのが解散原因」の真偽はわからない。
ただ、河ちゃんにとって宗教が全てになり、音楽は宗教の表現手段になったのは確かで、そういう意味でヒロト・マーシーとの間に溝が生まれたのは事実だろう。
ブルハ初期の「君のため(1987)」の歌詞「神様よりも好きです」の「神」はただの表現上の言葉だった。
それが河ちゃん作「インスピレーション(1993)」の一部の歌詞をヒロトが歌わなかったのには具体的な神への拒否反応がある。
(「神様ならばきっときっと僕の答えと同じはずだね」という歌詞だけ河ちゃんが歌っている)
そして、「PAN」収録のヒロト作「ヒューストンブルース(1995)」はじめ、ハイロウズ、クロマニの曲にも明らかに反宗教的な精神が見て取れる。
ガチな「仏様ラブ」とガチな「アンチ神様」が同じアルバムに収められているのは、あまりに無理があって、表現スタンスの断絶を感じざる負えない。
ヒロト曰く、「ロックがモテるためとか金持ちになるためなら、他の何かでいいじゃん。ロックは手段ではなく目的」。
当然、「信仰の手段としての音楽」なんてご免だろう。
どう考えてもそんなモチベーションの違いのまま、ずっと同じレールの上を走り続けるのは難しかったと想像する。
そして河ちゃんはHappy Scienceへ。ヒロトとマーシーは新会社Happy Songへ。
お互いの幸福の形が違ったことが、袂(たもと)を分かつことになった一因としてあるのは確かなように思う。
ヒロトとマーシー / 河ちゃんの音楽観の違い
宗教観の違いの話が目立つけど、解散時のインタビューを読むとそれ以上に音楽観の違いも大きい。
[河口]で、ロックが好きな人でも、もうロックンロールのルーツってジャズとか黒人音楽になっちゃうわけでしょう。で、結局そのエッセンスがないと「これはロックではない」とか。もうそういうとこから一切離れたいという。もう古い(笑)
これは、ヒロトとマーシーの音楽を聴いてきた人間が読むと、「北極とハワイくらい別世界にいる」と感じるのではないだろうか。
元々ヒロトもマーシーも60年代のロックの洗礼を受けている。
ある雑誌(「Bollocks N028」)でヒロトは
「70年代の初期パンクは(60年代ロックの)70年代型。
ブルーハーツは(60年代ロックの)80年代型」
と軸にあるのはルーツミュージックであり、その存在の絶対さを語っている。
ここ数年のクロマニの「ワンゴー」のイントロもチャックベリーだし、「光線銃」では「新しいとか 古いとか それよりもっと ただ好きだから」と歌っている。
明日行くクロマニライブで対バンするbawdiesのROYも音楽の入り口はthe sonics。
一番好きなアルバムはサムクック。どちらもTHE 60’s music。
そんなライブに行く自分も、「ロックのルーツとかもう古い」と笑う人間は、音楽を一切聴かない人間より遠くに感じる。
河ちゃん作の「インスピレーション」や「シンデレラ」は大好きだけど、やはり一緒に音楽を続けるのは厳しかったように思う。
ブルーハーツの復活・再結成はあるのか?
正確に覚えてないことが多くて申し訳ないのだけど、何かのインタビューでヒロトが復活についてコメントしていたことがある。
確かその時に「これから何をやるかは成り行きだけど、ブルハの復活の可能性はゼロ」と強めに否定していたと記憶している。
そもそもヒロトはずっとハイロウズ、クロマニヨンズと新しいバンドで活動し続けているので、一ファンとしても特にそういう期待をしたことはない。
さいごに
ブルーハーツの解散理由については色々なところで色々言われてると思う。
個人的に気になっていたのが、今まで見かけた原因は演奏力の問題にしろ、宗教・人間関係の問題にしろ「ネガティブな理由」に偏っていること。
その信憑性や妥当性は置いといて。
そういった理由が挙げられやすいのは「解散=何かネガティブな問題があるからするもの」という一般常識や先入観の影響もあるように感じる。
そんな中、この記事を書いたのは②で挙げたような「100点を出したけど、100点以上は出せないから」という理由も知って欲しかったというのがある。
「100点以上が出せない」
こんなポジティブすぎる解散の動機なんてなかなかないだろう。
「限界を感じて解散を決意した」というアルバム、「STICK OUT・DUG OUT」もオリコン最高位は1位と2位である。
こういうところに甲本ヒロトの甲本ヒロトたる所以とスゴさの一端が垣間見えるように思う。
一般的な感覚とかけ離れてて自分の言葉では伝わりにくそうだったので、「本人の言葉で詳しく」と思い、②の理由だけ長めに引用させてもらった。
宗教の話について補足
宗教のアレコレは画一的に捉えられないと思っているので、その点補足。
うまくここで全部は言えないんだけど、一つだけ簡単に言えば「単にハマったものの違い」だとも思っている。
つまり、ヒロトが(たまたま)ガツンともってかれたのがロックで、河ちゃんの場合は(たまたま)幸福の科学だった。
ヒロトの表現を借りれば、ヒロトの月が反射してる光・太陽はロックンスターで、河ちゃんはエル・カンターレだった。
それだけと言えば、それだけの違いとも言える。
鈴木剛介という文筆家に「人はなぜ生きるのか、答えよ!」という本がある。
著者は上智の哲学科出身で、内容は簡単にいうと幸福論。作中では幸せな人を6つに類型化、ランクづけしている。
表紙がブルハの1stなのは偶然ではなく、この著者は1番幸福なタイプの実例として甲本ヒロトを挙げている。
何で引き合いに出したかというと、2番目か3番目に幸せな人として「宗教の信者」をあげているため。
細かいところは今確認できないのだが、ともあれ自分もこの考えに同感で、一概に宗教をネガティブに思ってないことを書き加えておきたい。
コメントフォーム閉鎖中