LADY BABYに思う「アイドルを超える」境界線

「アイドルを超えた」という評価を見聞きすることがある。

今までは特に気にしたことはない言葉だったが、少し前にそう実感したことがあったので、改めて「アイドルを超える」について考えてみた。

「超えた」と感じたアイドルというのはLADY BABYで、後半LADY BABYについても書いている。

超えてない「アイドル」とは?

「アイドルを超える」には、前提として「超えてないアイドル」の存在がある。
なのでまずは「普通のアイドル」について。

少し話が逸れるが、自分は作品や制作をざっくり分類すると次の2種類があると考えている。(もしかしたら、どこかで聞きかじった知識かも)

一つは「プロダクト」。もう一つは「クリエイション」
前者は「工業製品」で、後者を「芸術作品」と例えると分かりやすいと思う。

それぞれ完全に分けられるものではないが、とりあえずここで注目したい特徴は「交換可能性」

プロダクトは作る人の人格や才能に依存していないという性質がある。
反対に、クリエイションは作る人自身への依存度が高い。

大量生産する商品が一部の人しか作れないと困るし、誰でも同じものが作れたらそれは芸術作品とは言えないだろう。

音楽の場合は、一概に言い切れないが、基本的にはその人だからこそ生み出せる「クリエイション」に分類できる。

ここ数年の女性アイドルの特徴はプロダクト性の高さ

そう考えた時、最近の「普通のアイドル」はプロダクト性が高いのが特徴。

最初からメンバーが交換可能な前提で存在していて、世間的にもアイドルはそういうものと認識されている。
そこが「このメンバーだから成立している」一般的なアーティストとの大きな違いだ。

そんな中、アイドルがファンに
「このグループはこのメンバーでなければ成立しない。」
と強く直感させる。
(ある程度、客観的なものさしで)

そう直感させられた時、人は「アイドルを超えた」と感じるように思う。

パッケージに力点が置かれ量産されるアイドルの中で、メンバー自身が一点物の存在となる。
改めて言葉で整理すると、それが「アイドルを超える」の一つの本質だろう。

今と昔のアイドルの違い

アイドルといえば、昔からプロダクションやらプロデューサーやら、周囲の大人達に作られたプロダクトな存在だった。

でも、ソロにしてもグループにしても、今と7、80年代のアイドルには大きな違いを感じる。

昔のアイドルも自分達で音楽を生み出していたわけではない。
でも、存在としてはすごく交換不可能なものだったと思う。

歌唱力であれ、キャラクターであれ、何かしらで取り替えのきかない特別な存在で、それが他のアーティストと同じように売れるための条件だった。

つまり、アイドルも「プロダクト」ではなく「クリエイション」な存在だった。

だからこそ、昔は松田聖子、山口百恵、キャンディーズといった突き抜けたアイドルにも「アイドルを超えた」なんて言わなかったのではないだろうか。
(世代じゃないので、推測ではあるが)

確かに、昔もおニャン子クラブみたいな「普通のアイドル」もいた。
でも、今ほど「アイドル=交代制」といった手法や意識は定着していなかったように思う。

商業的アイドルに対する個人的な印象

ここまでの文章から、そんなアイドルに対して批判的と思われそうので、一応補足。

個人的な素朴な考えをいうと、「どんな音楽でも売れるのは良いこと」だと思っている。
これは色んな趣味にあてはまることだが、おそらく音楽好きの分布は次のようなピラミッドとなっている。

ライトなファン(大多数)> 少しコアなファン(多数)> ディープなファン(少数)

母数としてライトな層が増えるほど、ゆくゆくコアなファンも増えるし、結果的に三角形全体が大きくなる。
一部のジャンルしか聴かなくても、いずれディープで幅広い音楽好きになるかもしれない。

そんな理由で、シーン全体を考えばどんな音楽でも広まるのは良いことだと考えている。
最近、若いアイドルが色々問題になってるので、そういう意味では無闇に業界が拡大しない方がいいとは思うが。

「アイドルを超えた」と感じたアイドル「LADY BABY」

自分が実際に「アイドルを超えた」と思ったことについて。
そう実感させられたのはLADY BABY。

LADY BABYは2015年に金子理江、黒宮れい、レディビアードの3人で結成されたアイドルグループ。

音楽的なテーマはメタルを基調とした「Kawaii-Death(カワイイデス)」。
キャッチコピーは「世界のルールを破壊する、日本の最強・最果て新感覚アイドル」。

日本をモチーフにした1stシングル「ニッポンマンジュウ」は2千万回再生を超える、世界的な大ヒットとなった。

ヒット云々はおいておいて、ここで確認したいのは活動当初のプロダクト性の高さ。
上の説明だけでも、いかにも「今のアイドル」っぽいのが伝わると思う。

グループのコンセプト・ビジュアル・曲・歌詞・衣裳・振り付け、全てにおいて、もうガッチガチにプロデュース側に作り込まれている。
役割の比重でいえば、制作陣が「主」で、演者は「従」。

繰り返すと、そういう作り方を否定しているわけではなく、実際自分はこの時点でファンになっている。

ただ、この後の変化には目をみはるものがあった。
変化とはつまり、ここまで書いてきたように「プロダクト」から「クリエイション」への変化ということだ。

3rdシングルリリース後、レディビアードが脱退

1stは爆発したが、2nd、3rdは数字的な結果で言えば右肩下がりとなった。

そんな中、3rdリリース後、レディビアードが脱退。
この動きにどんな背景があるかは全く知らない。

ただ、売り上げ以前に元々のコンセプトと黒宮・金子の「個性」にズレが生じてきたような気はする。

レディビアードという異端がいると、残りの2人は王道的ポジションに固定されてしまう。
どうしても普通の可愛さが求められ、のちに2人体制で見せるクールビューティーなテイストは発揮できなかっただろう。

元々、2人が持ってるものが王道的な可愛さなら問題はない。
でも、2人のカラーは、そんなオーソドックスでわかりやすいものではなかった。

そう実感したのは2人体制後、初の国内ワンマンに行った時のこと。

ステージ上の2人は王道的アイドルのイメージとはほど遠く、攻撃的。
チューリップというより、刺々しいバラ。
MCに応えない観客には思い切りケンカ腰に煽ったりもしていた(特に黒宮れい)。

そんな「素性」を出せるようになった2人体制後は、ビジュアルイメージもハッキリと変化した。

4thシングルで大きく変化したビジュアルイメージ

2人編成後、名前を「The Idol Formerly Known As LADYBABY」に変更。4thシングル「御朱印ガール」をリリースした。
この4thシングルから、それまでのカラフルで可愛いビジュアルから一転、単色でクールなイメージに。

以降、アートワークはクールなトーンで統一されている。
この変化は、それまでコンセプトありきだったものが、演者の持ち味に合わせてきたように感じた。

一方、曲的には「国の文化的なものがモチーフ」、「音楽性はメタル」というコンセプトが踏襲されていた。
反応は1stには及ばないものの、色々な意味で安定感は出てきたように感じる。

異様なほど親密な2人の距離感も独特の世界観を作っていて、今後の方向性にブレはないように見えた。

そんな中、2017年11月、突然黒宮れい脱退の知らせが発表される。
目前にツアー敢行を控えた、本当にありえないタイミングの発表だった。
ここでは特にその点については触れないので、参考URLだけ貼っておく。

ともあれ、LADY BABYがいよいよ「アイドルを超えた」と感じたのは、この2人でリリースした「LADY BABY BLUE」だった。

「LADY BABY BLUE」

「LADY BABY BLUE」は5thシングル「Pelo」のカップリング曲。
作詞・作曲はシンガーソングライターの大森靖子。

apple musicの再生回数はアーティスト内ランキングでトップ(時期によって変動あり)。
2人体制での最後のアルバム「beside U」でもラストを飾っている。

この曲はそれまで周りがくっつけてきたものを全部剥ぎ取った裸の作品という趣がある。

アイドルっぽい要素も日本のご当地的なコンセプトもない。
デスメタル、デスボイスといった音楽的な特徴もない。
振り付けも衣装すらなく、映像は金子自身が撮ったプライベートな映像が流れているだけ。

黒宮れいと金子理江。二人の女の子が戯れて歌っている。
それだけで成立していて、それだけで強烈なオリジナリティを放っている。

そんな「LADY BABY BLUE」のMVを観た時、「アイドルを超えた」を感じた。

曲と歌詞も大森靖子が2人に触発されて2人のために書き下ろしたもの。
タイトル通り、完璧にLADY BABYの色に染まった、黒宮れいと金子理江だから創り出せた曲だと思う。

さいごに。2018年、LADY BABY再始動

黒宮れい脱退後、LADY BABYは3人の新メンバーを加え、再始動した。
リリースした7thシングルは「ホシノナイソラ」。

コメント欄を見ると、やはり賛否ある模様。
印象的だったのは、「LADY BABYという名前は変えて欲しい」というコメント。(←「ホシノナイソラ」のコメント欄ではなかったが)

これは、自分も思っていたことで。
この感覚は黒宮れい&金子理江のLADY BABYが、誰にもコピーできない存在となった証だろう。

4人での再始動は、プロダクトからクリエイションに変化した後、もう一度プロダクトに寄ったという印象を受ける。

冷めたコメントになるが、池田菜々のラップも一番の持ち味というわけではないだろうし、唐沢風花も、雰囲気的に普通に可愛らしい衣装の方が似合ってるだろうなと思う。(有馬えみりのデスボイスには驚いた。)

端々にそんな「着させられている」感が否めなく、皮膚感覚で着こなしていた2人の時と比べると、ギャップを感じてしまう。
HMVでのリリイベも観に行ったが、金子と新メンバーのパフォーマンスにも差を感じた。

とはいえ、そう思うのも当然で。
むしろ、こんなパッと集められてパッと追いつけるなら、黒宮金子コンビはその程度だったのかという話になる。

また、以前と比べるから厳しい見方になるのであって、普通にアイドル全体で見れば、余裕で上位数パーセントに入る実力だろう。

さらに上を目指すのはなかなか難しいだろうけど、また少しずつこの4人だけのLADY BABYが創られていくんだろうと思う。

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