【川本真琴】個人的・J-POP史上最高のアルバム

個人的にJ-POP史上NO.1だと思うアルバムについて。
タイトル通り、そのアルバムは川本真琴の1stフルアルバム「川本真琴」。

特に込み入った内容ではなく、ただ20数年音楽を聴いてきた一人のリスナーが「川本真琴がJPOP史上最高!」と言いたいだけの記事である。

「今あえて言いたいと思った理由」や「一番だと思う理由」を含めて、「川本真琴」について紹介したい。

川本真琴のデビュー時の様子

「川本真琴」は1996年にシングル「愛の才能」でデビュー。
続く、「DNA」、「1/2」もスマッシュヒットし、1997年に満を持して発表されたフルアルバムが「川本真琴」だった。

「川本真琴」のリリース時はCD販売の最盛期ということもあり、売り上げはミリオンセラーを記録。
「HEY!HEY!HEY!(MC:ダウンタウン)」「うたばん(MC:石橋貴明、中居正広)」など音楽番組も元気があった時代なので、テレビでも頻繁に姿を見かけた。

ボーイッシュで可愛らしい見た目、バラエティの適性に適ったキャラクター、そして、何より確かな実力を持った川本真琴はデビュー後すぐに第一線のトップアーティストとなった。

当時、自分は中学生で初めて川本真琴を見た時のことは今でもよく覚えている。
初めて目撃したのは、深夜の「カウントダウンTV」のエンディングテーマとして流れていた「愛の才能」のPV。

見た瞬間に、時間の流れ方が変わるような衝撃をうけて虜になっていた。
以来、シングル、アルバムが出れば購入orレンタルし、ずっと聴き続けている。

「川本真琴」が最高だと思う理由① ー歌詞

全部が奇跡みたいな作品だと思うけど、特に「スゴい」と感じるところを2つ。

一つは歌詞。というか彼女の言語感覚というか。

川本の歌詞は抽象的・感覚的で断片的。
でも論理的に整った文章以上にダイレクトに伝わってくる。

「頭で理解するもの」ではなく、「皮膚感覚で体感するもの」。
そんな感触が彼女の言葉にはある。

HIPHOPでは「決め台詞」のように力の入ったリリックをパンチラインと言う。
(ジブラの「俺は東京生まれ、ヒップホップ育ち。悪そうな奴はだいたい友達」とか)

川本真琴の歌詞は、聴いた瞬間に頭と心に刺さるパンチラインの宝庫だと思う。

デビューシングル、「愛の才能」の歌い出しからスゴい。

「成長しない」って約束じゃん。

他にも

愛の才能ないの 今も勉強よ「SOUL」 (愛の才能)

唇と唇 瞳と瞳 手と手 神様は何も禁止してない(1/2)

カーブでふざけてコーラをこぼしたあの夏の地図は「セーの」で窓から投げた(DNA)

桜になりたい いっぱい 風の中で いっぱい ひとりぼっちになる練習してるの (桜)

それ程熱心なファンじゃなくても、これらの歌詞が頭に残ってる人は多いんじゃないだろうか。

松任谷由美の「やさしさに包まれたなら」に「小さい頃は神様がいて」という歌詞がある。
川本真琴の歌詞にはよく「神様」が登場する。

川本の歌には小さい頃の無垢さと、そこから飛び出す直前のようなヒリヒリした緊張感とその境界線上で戯れてるような愉しさがある。

そんなアンバランスで危うい世界だけど、同時に安定感抜群の確かな歌と演奏でパッケージされているから、リスナーは安心して楽しめるのかもしれない。

「川本真琴」が最高だと思う理由② ーシュールさとポップさの共存

この記事を書く前にアマゾンのレビューを確認したら、自分が書いたんじゃないかと錯覚するようなものがあった。
(見出しも「個人的には、J-POP史上No.1のアルバム」とかぶってて、シンパシーを感じる)

そのレビューでこう書かれている。

「このアルバムのプロデュースは、彼女のシュールな資質にポップな外枠を与えるという困難な課題を巧みにこなしている。」

自分は以前、別記事でこんなことを書いた。

音楽とか他のジャンルでも、『奇跡/天賦』と感じる才能には次のような特徴がある。

POPなのに浅くなく、深遠なのに複雑じゃなく。
オリジナリティ全開なのにゆるがない普遍性をもっている。

POP or 深遠。オリジナリティ or 普遍性。
それらは通常、メーターの両端にあり、シーソーのような関係にある。
だから普通はどちらかによっているもの。

でも、突き抜けた作品・作家はメーターの針が二つあって、それぞれが両端に振り切っている。
そんなありえない状態をしれっと成している。

これは伊藤計劃というSF作家に対して書いたものだけど、川本真琴にも当てはまっている。

極めてシュールなのに、極めてポップ。
その相反する性質を、サラッと備えてる。

一つ付け足すと、川本をプロデュースした岡村靖幸は「自分で自分にポップな外枠を与えられる天才」。
対して川本は「自分ではその外枠を作れない天才」だと感じる。

実際、ここ数年で発表された川本の動画作品などは彼女のシュールさによったもので、少なくとも万人に届くものとは言えない。

岡村をはじめとした当時の環境が、川本の特性を生かしつつ「ポップな外枠」を与えられたことは本当に幸運で奇跡的なことだったと思う。

さいごに。この記事を書いた理由

どちらも少し前の話になるけど、キッカケとなった出来事は2つ。

一つは、例の芸人と女性タレント(?)との三角関係騒動。
自分は川本真琴のツイッターをフォローしているので、騒動のキッカケになった、「人気芸人との交際をほのめかすツイート」もリアルタイムで見ていた。

その時から嫌な予感がしたし、案の定騒ぎになった上に、相手がややこしい人でさらにややこしいことになっていた。

正直、川本自身「イタい発言、行動」と思われても仕方ない部分もある。
でも、川本をよく知らない若い人にとったら本当に「ただのイタい過去の人」と映ったかもしれない。
それには納得いかない思いがあった。

もう一つは、2017年のDAOKO×岡村靖幸のコラボ曲。

純粋にこのコラボは嬉しいし、曲も好きでよく聴いていた。
でも、どこかで「DAOKO×岡村靖幸」より「川本真琴×岡村靖幸」の方がはるかにスゴいのに、とやはり納得いかない気持ちにもなった。

今をときめくDAOKOと、お騒がせキャラの川本。
そんな世間のイメージの中、なんだか「JPOP史上最高の作品は川本真琴」だと言いたい気分になった。
それが、この記事を書いたキッカケになる。

一応補足すると、フォローするために無理に一番に挙げてるわけでなく、本当に最高の作品だと思っている。

この記事が改めて「川本真琴」を聴き直してみるキッカケになったら嬉しい。

川本真琴本人はあまり嬉しくはないかも、と思いつつ。

川本真琴は当時の音楽性や成功をあまりポジティブに捉えていない節がある。

バラエティでウケていたのも、本人は喜んでやってたわけじゃないだろう。
天然キャラで売ってるタレントもいるが、川本は一切狙ってない人なので、ただただ周りの反応に戸惑っていたように思う。

2016年に、自身の楽曲をセルフリメイクした「ふとしたことです」がリリースされた。
デビュー時のポップでキャッチャーな楽曲が打って変わって、ピアノでしっとりと聴かせるものになっている。

年齢を重ねた上での変化というより、おそらく元々川本真琴の持っているリズムとテンポはこちらが近いのだろう。

ついこのあいだもツイッターで次のようなツイートをしていた(2018.02.17)。

「桜とか二分の一が好きじゃない人にライブに来てほしい。」

オススメした手前、あまり今の川本真琴に「川本真琴」を期待しないように、ということも付け足しておきたい。

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