rockin’on 2019年10月号の「ビリー・アイリッシュ総力特集」を読んだので、気になった点や印象的だった内容の感想を。

rockin’onを、というか雑誌自体、発売月に買うなんて本当に何年かぶりだった。

ロッキンオン「ビリー・アイリッシュ特集」を読んだ6つの感想

日本の音楽雑誌でビリーの単独インタビューはロッキンオンが初らしい。
全体的には面白かったけど、とにかく1ページ目見開きのリード文が衝撃的だった。

①「負け犬」という表現への違和感

まだ本編のインタビューページの前。
普通は何気なく読み飛ばすくらいの冒頭のリード文。

でも次の表現に疑問符と違和感がこんこんと湧いてきて、しばらく考え込んでしまった。

異端児こそが王道になりうる、”負け犬”が完全勝利をおさめるという、ロックドリームの象徴になった。

ビリーが「負け犬」…?
ロックドリームの象徴…?

あまりこういう音楽雑誌の定型的な表現やノリ?みたいなもの自体馴染みがないんだけど、それにしてもあまりに自分のイメージとかけ離れてて面くらってしまった。

単純にビリーの音楽性にも彼女のルーツにもロック/バンドの要素はまったく見当たらない。
むしろ、ビリーは音楽シーンの中でロックの主権が失われてることの象徴のように感じていた。

確かにアウトサイダーな出自や「痛み」、成り上がり的な要素は見られる。
ニルヴァーナの元ドラマー、デイヴ・グロールの「(ビリーの音楽を)俺はロックンロールと呼ぶ」という発言も大々的に取り上げられた。

でも、既存のロックスターの文脈に当てはめてビリーを「負け犬」とまで形容するのはスッとのみ込めない。

これはほんとうに色々考えてしまって。
筆者は本当に皮膚感覚でビリーに「負け犬」や「ロック」を感じているのか?とか。先に読み進めさせるために、あえて違和感や反感を掻き立てる手法なのか?とか。

でも、要は一般的なロックのイメージとかけ離れてるからこそ、ロック雑誌で取り上げる必然性をやや強引にでも定義・宣言する意図があったのかな…という気はしている。

あと、一部ビリーの一人称を「うち」にしてるのも気になって気になって。
全体的には良い内容だったけど、この2点だけは払拭しきれない違和感が残った。

②「カリスマ」を引き受けていることのスゴさ

インタビュワーの言葉(P29)。

スター的な場所にまつり上げられると、「私は時代の声じゃない」など拒否するのが普通です。でもあなたは、そういうムーブメントを起こしていることを冷静に引き受けているところが尋常ではないです。

これは本当にそう思う。
「しかも17歳で」とも思うし、「もしかしたら17歳だからこそ」とも思う

実はデビューから3年をかけて徐々に今のブレイクに繋がったという経緯は状況の変化において良い影響をもたらしているだろう。
普通に考えたら3年は十分短い期間かもしれないけど。

そんな背景もあったり、ビリーは色々受け止められている心境を語っているけど、それにしても凄いメンタリティだなと思う。

③「あなたはリアルだから」「あなたは本物だから」というファンの声に対するビリーのコメント

これも17歳とは思えない達観ぶり(P29)。

例えば、頑張って唯一無比の存在になろうとすると唯一無比の存在には絶対なれないと思う。だって、そうなりたいがために頑張ってしまうわけだから。

でも、どうして人が私をリアルだとか、本物だとか言ってくれるのかその理由を考えてみると、私は頑張って「リアル」になろうとしてないし、頑張って「本物」になろうとしてないからだと思う。

すごく真理をついてるなと思う。
こんな考え方は初めて聞いた!というわけではないけど、17歳で自分で経験して自分で思い至ってる所がやっぱり凄いなと。

ただ、「偽物」は頑張って「本物」になろうとしなくても、やっぱり本物にはなれない。
「本物」になろうとしないで本物になれるのは、それはもう本物だから、という身も蓋もない事実を改めて感じる。

④「他とは違うものを」と明確に「他」を意識した曲作り

③つ目のコメントのように、ビリーからは「自分は自分」という超然とした自己がうかがえる。
曲作りの方も「他は関係ないし、『頑張らない』し、ただ自分の作りたいものを作る」という印象もあった。

その分、次の言葉は意外だった(P30)。

私と、それからフィニアス(兄)も同じだと思うけど、音楽を作ってる時に目標にしていたのは、自分たちがこれまでに聴いてきたものとは全然違う音楽をたくさん作りたいということ。さらに自分たちが作った音楽とも違うものを作り続けたいと思っていた。

ビリーの革新的で新しい音楽は、ちゃんと「革新的で新しい音楽を作る」と意識して作られていたということだ。

⑤ 気になったコラボ曲に関するビリーの感想

読む前からこの点が気になっていたんだけど、本誌では特に触れられてなかった。

ビリーはこれまで村上隆やジャスティン・ビーバーとコラボしている。

個人的な感想は、全然ケチをつけるようなレベルじゃないけど、ビリーだけの作品のような凄みは感じなかった。
ビリーの曲はミニマムな作りで、一切雑味のない澄み切った世界観に「完璧を超えるような凄み」を感じる。

そこに村上隆やジャスティンという強烈な個性が加わったときに、何かその完璧な世界観に異物が混じるような感覚にもなる。
(村上隆のアニメPVの場合、キャラクターのビリーが歌ってて口パクのように見えるのも違和感の原因かも)

ビリーはインタビューで「1st制作時にプロデューサーは断って2人だけで作った」、「たった2人で作ったからこそ素晴らしい作品になった」と言っている。

でも、だとすると余計「2人以外で作るコラボ曲に関してはどう思ってるんだろう?」ということが気になった。

さすがにもしネガティブな思いがあったとしても言わないし言えないだろうけど。

⑥ ビリーの歌詞での日本の受け入れ方について

これはあまり洋楽音楽雑誌を読まない洋楽リスナーの素朴な疑問。
もっと言うと、歌詞もほぼ一切気にせず聴いていて、これからは少しは気にしたいと思っている。

ビリーは特に歌詞の存在が大きなアーティスト。
インタビューも歌詞の内容や歌詞が持つ影響力について言及している。

とりわけビリーの歌詞は同世代のティーンに刺さるという話をしてるけど、それは海外の場合で日本ではどうなんだろう?ということが気になった。

たぶん、ちゃんと歌詞を理解するリスナーは少ないだろうし、和訳読んで理解しても母国語のようなダイレクトな刺さり方はしにくいだろう。

そんな日本ではビリーがどんな受け入れ方をされるのか。
日本の音楽雑誌にとってはそっちの方が重要な問題だと思うんだけど、その辺音楽雑誌ってどんな風に考えてるんだろう、とふと疑問に思った。

基本的に「『本国でどう受け入れられてるか』を伝えて日本のリスナーにも歌詞に興味を持ってもらいたい」という考えはあるだろうけど。

さいごに

ビリー・アイリッシュはどこかあいみょんと印象が重なる。

音楽・芸能関係の親を持ち、ネット経由で発見されて、圧倒的なスピードで大ブレイクしたところとか(でも本人は「ちゃんと数年の下積みがあった」と「反論」してるところも)。

この特集を読みながらもチラチラあいみょんのことが頭に浮かんだ。
メディアではなかなか正面から扱いにくい話題かもしれないけど、二人に焦点を当てた記事があったら面白そうだなと思う。

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