映画「セッション(原題:WHILPLASH)」を鑑賞した。
作品の感想や解釈については、また別記事にも書いているので、ここではまた違う視点でレビューをしたい。

自分はタイトル通りWebデザインをやっていて、画作り面でも参考にしたいという理由で映画をみている。
この作品はそういった目線で見ると、画作りの面でも驚くほど考え抜いて作られているのがわかる。

ストーリーだけでなく「美術・照明・衣装」などにおいても本当に多くの工夫がされていて、作中の音楽に取り憑かれた2人のように、作り手も「完璧」を追求している。

この記事ではその一端を紹介できたらと思う。

一応作品を観た前提で書くけど、重大なネタバレはなし。
映画を観る前でも特に問題はない内容になっている。

映画「セッション(原題:WHILPLASH)」について

出演マイルズ・テラー, J・K・シモンズ,メリッサ・ブノワ
監督・脚本デイミアン・チャゼル
音楽ジャスティン・ハーウィッツ
公開2014年
公式サイトhttp://session.gaga.ne.jp/

【ストーリー】
名門音楽大学に入学したニーマン(マイルズ・テラー)はフレッチャー(J・K・シモンズ)のバンドにスカウトされる。
ここで成功すれば偉大な音楽家になるという野心は叶ったも同然。
だが、待ち受けていたのは、天才を生み出すことに取りつかれたフレッチャーの常人には理解できない〈完璧〉を求める狂気のレッスンだった。
浴びせられる罵声、仕掛けられる罠…。ニーマンの精神はじりじりと追い詰められていく。
恋人、家族、人生さえも投げ打ち、フレッチャーが目指す極みへと這い上がろうともがくニーマン。しかし…。

ー Amazon 内容紹介

セッションの画作りにおける工夫・デザイン的秀逸さ

主に5つに分けてまとめてみる。
特に無駄をそぎ落としたシンプルさ色の使い方が大きなポイントになっている。

① 徹底したシンプルでミニマムな作り ー不要な文字情報の排除

ミニマムは「必要最小限」という意味で、必要最小限のシンプルな表現・デザインは「ミニマニズム」と形容されることがある。

そもそも「デザイン」自体に、「情報の整理ー不要な情報のカット」という要素が含まれているが、それをより突き詰めたものが「ミニマリズム」と言えるだろう。

「セッション」が何よりデザイン的に秀逸だと思うのは、この「必要最小限のシンプルさ」を徹底しているところにある。

ストーリー・セリフ・登場人物においても一切無駄がなく簡潔(上映時間は106分というコンパクトさ)。
そういったミニマムな作りはビジュアル面でも徹底されている。

シンプルさの一例を挙げると、作中の文字情報の排除
この作品では画面内の余計な文字情報が丹念に排除されている。

例えば、衣装。
全ての洋服が無地かボーダーかチェック。全シーン誰一人として文字がプリントされたものを着ていない。

文字が目に入ると自然と意味を読み取ってしまう。
ほんのわずかでも観客の気がそれてしまうことを防ぐため、文字情報をカットしているのだろう。

一応、「もしかしたら一般的にもあまり着ないのか?」とも思って、ネットで確認。
「アメリカ 大学生」とかで検索すると、普通に着ているようなので、やはり意図的に排除してると思われる。

「デザイン=不要な情報をカット」と書いたけど、それは同時に「見せたい情報をより際立たせるため」という目的もある。

この作品でも不要な文字情報の削除は、作中で大きく映されるある単語を強調する役割も果たしている。
それは冒頭の次の文字。

ニーマンと父親が観る映画のタイトル

これは作り手が観客に向けて発信しているメッセージで、作品を解釈する上で重要な意味を持っている。
この単語を目立たせるために、他の文字は排除していると考えられる。

「メッセージ」については主旨から外れるのでここでは省略。別記事で説明している。

「【「セッション」レビュー】「人生で最高の一本は?」と聞かれて即答する一本

②配色について

色も重要な情報で、作中の色は自覚的に選ばれてるし、また色数も「必要最低限」に抑えられている。

その点はジャケットやポスターのグラフィックからも見て取れる。
使われている色は「黒・ベージュ・白」の3色のみ。

セッション-作品 -Yahoo!映画

配色の基本として、「ベースカラー70%・メインカラー25%・アクセントカラー5%」というセオリーがある。
セッションのポスターはセオリー通り、必要最低限の色で構成されている。

さすがにこの比率通りではないけど、クライマックスの10数分間においても映像内の色は「白・黒・ベージュ(茶)」のみ。
配色においても徹底してミニマムさを追求した姿勢が見て取れる。

ちなみにジャズのアルバムジャケットは他のジャンルと比べても、色数が少ないイメージがある。
3〜4色のものが多く、1色1色がくっきりしている印象。

↑作中でも度々名前がでてくるチャーリー・パーカーのCDジャケットも白×黒×オレンジの3色。

監督のデイミアン・チャゼルは自身でもジャズプレイヤーを志していたので、少ない色数で表現する色彩感覚はジャズのアルバムジャケットからの影響が大きいのかもしれない。

③ボカシの多用

Webデザインのトレンドの話をすると、画像をぼかすことが挙げられる。

多用される理由はいくつかあるが、その一つはやはり「情報の取捨選択」。
「背景の存在感を消すことで、より重要な前面の情報を目立たせるため」という理由がある。

amazon music ヘッダー画像(文字情報を目立たせるため、背景をボカしている。ちなみに「セッション」はprimeビデオでは配信してない)

「セッション」は他の映画と比べてもこのボカシ効果が頻繁に見られる。
つまり、それだけ各シーンで丹念に不要な情報を排除していると言える。

前の2人の表情に集中してもらうため、背景をボカしている

クライマックスの演奏シーンに至っては、見せる必要のない観客席を真っ暗にし完全に消してしまっている。
とにかく「必要ない情報は徹底的に排除する」という姿勢が伝わってくる。

④ライティングによる雰囲気作り

映画の雰囲気作りとして、ライティング(照明)が重要な役割を担ってるのは言うまでもない。

この作品でもライティングでの演出は欠かせないものとなっている。
ちょっと過剰なくらい顕著だと思ったのは次のシーン。

コンクールに遅刻しそうなニーマンがレンタカーショップに駆け込むシーン。

なぜか昼間なのに真っ暗。営業中のレンタカーショップなのに電気もつけていなく、店内も薄暗い。
ちなみにこの前のパンクしたバスを降りたシーンから一転、影で画面が暗くなる。

ともすると不自然なくらいのこの暗さが「コンクールに間に合うか、運転は大丈夫なのか」という不穏な予感を助長させている。

⑤配色による視線と印象のコントロール

最後に、もう一度色について。
特にこの映画で秀逸だと思ったのが色の使い方。

これも衣装の話で、ここまで気を使っているのかと唸らされるポイントが沢山あったので、いくつか取り上げたい。

主にドラマーのコリーと彼女役のニコルの衣装について。
まず、コリー。彼はいわば端役で、終始それほど重要なシーンはない。

次の画像は序盤の初頭教室での登場シーン。

コリー(左)は一際目立つ赤

赤は単純に最も目立つ色で、他にこれほど鮮やかな色を着ている生徒はいない。

この時点では今後彼が登場するか不明だが、「あえて目立たせている」衣装の色から「存在を覚えておいてほしい」という作り手側の意図が読み取れる(読み取れなくても記憶に残りやすい)。

果たして、のちにコリーはフレッチャーに抜擢され、同じく赤い服を着て再登場する。
もし赤い服を着ていなかったら「序盤のアイツ」とは気づきにくかっただろう。

ニーマンと二人でフレッチャーのテストを受けているシーン。

そのため、この赤が選ばれた理由の一つは「誘目性(注意を向けさせる性質)の高さ」
また、終始「陽気なキャラクター」なので、「赤の色のイメージ(愛・活力・積極的)」が考えられる。

ずっと赤い服でいることで「記号」としての役割もある。

そして、もう一つ。
↑上のシーンではコニーが主奏者に選ばれ、両者の勝敗と表情の対比が明確になっている。
ここで「彩度の同化」という色の効果が利用されている。

「彩度の同化」とは簡単に言ってしまうと「彩度の高い色の近くにあるものは明るく、低い色の近くにあるものは暗く見える」作用のこと。

つまり、勝者のコニーの笑顔を赤い服でより明るく、敗者のニーマンには黒いTシャツを着せてより暗く見せている(照明の力も大きいけど)。

このように、「衣装の赤」には多くの狙いが込められているとわかる。
そこまで重要ではないシーン、キャラクターでもこれだけ考え抜かれているのである。

次に、より重要なニーマンの彼女、ニコルの衣装。
彼女はシーンによって印象の異なる色が選ばれている。

最初はニーマンがデートに誘う場面。暗い照明の中、ニコルの存在が際立つように白い服を着ている。

次に初めてのデートでいい感じになる場面。
二人揃って水色で合わせることで、二人の調和された雰囲気、親密さを伝えている。

二人とも下半身も明るい水色のジーンズで、飲み物の容器まで水色で統一されている。

ちなみに奥にいるのが中年(初老?)男性というのも、作り手の明確な意図を感じる。

おそらく作り手の考えは「背景として人を配置したい」けど、やはり「極力観客の意識は向けたくない。前の2人だけにフォーカスさせたい。」
そこで選ばれたのが中年男性。

つまり、(悲しいかな)一般的に最も人の関心を引かない存在として中年男性が抜擢されているわけである。

デザインをやっているとこれに近い判断をすることが結構あるだろう。
対象を目立たせたい場合、近くに配置する人や色は存在感の薄いものを選んだりすることがある。

話を戻して、最後に、ニーマンが突然別れを切り出すシーン。
ここでも「彩度の同化」で暗い表情をより暗くさせるため、ニコルは黒い服を着ている。
反対側に座るニーマンも同じく黒。ここまでくればすでに予想できる通り、二人ともズボンも黒。

(元々映画はあまり観ない人間なので今回初めて気づいたけど、映画ってここまで衣装の色と場面の雰囲気を合わせるものなんだろうか?)

おまけでもう一つ。
ニーマン、コリーの他にもう一人いるドラマー、タナーの衣装について。

まず登場シーン。ニーマンの先輩として力強い表情をし、鮮やかな緑のボーダーを着ている。

次にのちにドラムの主奏者をニーマンに取って代わられるシーン。落胆した表情を浮かべ、同じ緑のボーダーでもくすんだ緑になっている。

なにげに最後のタナーのが作り手の工夫として一番印象的だったかもしれない。
こんなさりげないシーンでも、気を使って細かく色を調整しているのかと感心させられた。

ライティングの明度の調整もそうだけど、Webデザインの場合photoshopで比較的簡単にできる。
映画の場合、イメージ通りの色の服を選ぶにしろ、影を作り出すにしろ、おそらくずっと手間がかかる。

この作品からはそういった手間を一切厭わず、本当に細心の注意を払って作られているのが伝わってくる。

さいごに

「セッション」に見られる「デザイン的」工夫のポイントを挙げてみた。
作品を観た人はどれくらいこういった工夫に気づくのだろう?意識するものなのだろう?

もし、「まったく気にしなかった」としたら、それは作り手としては残念なことでなく、むしろデザイナー冥利に尽きると思う。

デザインは基本的にはコンテンツを伝えるための黒子にすぎず、意識されないほど望ましい。

ただ、そういう視点で見るのも一つの映画の楽しみ方だとも思う。
(もちろん、ストーリーだけに集中したいという人も多いだろうし、自分も初見の際はほぼストーリーだけに集中していた)

ここでは触れてないポイントもまだまだあるので、もし、また見ることがあれば目を凝らしてみると色々と興味深い発見があると思う。