「リンダリンダ」は1985年にリリースされたブルーハーツのメジャーデビューシングル。

作詞作曲はボーカルの甲本ヒロトで、ブルーハーツの中でも最も有名な一曲だ。
歌い出しの歌詞「ドブネズミみたいに美しくなりたい」も有名で、一見矛盾した逆説的な表現は強烈なインパクトがある。

…と書きつつ、個人的にはそれ程インパクトを受けたわけではなかった。
リンダリンダの最初の印象は単純に「ノリのいい楽しい曲」。

あとあと歌詞を意識した際も、むしろブルハらしい、ある意味「筋が通った表現」に思えた。

最近「NO FUTURE」というSEX PISTOLSのドキュメンタリー映画を観た際も「リンダリンダ」と重なるところがあって、改めて「ドブネズミってそういうことかな」と感じた。

「リンダリンダ」はどう「ブルハらしい」のか。
「ドブネズミみたいに美しい」とはどんな意味なのか。

その辺りを中心に「リンダリンダ」の歌詞について自分の解釈を書きたい。

もちろん、色々な受け止め方ができるだろうから、これはピストルズとの関係や「NO FUTURE」との共通点を軸に考えた場合の一つの解釈として読んでもらえたらと思う。

SEX PISTOLSとブルーハーツ/甲本ヒロトの関係

そもそも「なんで『NO FUTURE』を観て『リンダリンダ』のことがわかるんだ?」
と思われるかもしれないので、まずピストルズとヒロトの関係から。

ピストルズは1970年代後半にパンクムーブメントを巻き起こしたイギリスのパンクバンド。
甲本ヒロトは中学時代にピストルズに衝撃を受けたことがバンドを始めるキッカケの一つになっている。

音楽に目覚めたキッカケ自体はもっと前で、聴いていたのはひと昔前(60年代〜それより前)のビートグループやブラックミュージック。

「自分が好きなのはもう古い音楽なんだ」とガッカリしてた頃、ピストルズが登場。
「ピストルズには『古い音楽』と同じものを感じて、自分の理想の音楽をリアルタイムで鳴らしている」と感激したそうだ。

これはヒロトのエピソードだが、同じくブルハの作詞作曲を担うギターのマーシーもほぼ同様の道を辿っている。

(参考にした書籍を一冊あげると「ロックンロールが降ってきた日」。2人がロックに目覚めた話は色々な所でしているが、この本が一番面白くて読み応えがある。)

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ピストルズの歌詞から見えるもの

ピストルズの歌詞は反体制・反システム・反権威といったアンチの精神に満ちている。
それらはパンク/ロック全体に見られる要素だけど、ピストルズほどエッジの効いたバンドはなかなかいないだろう。

「NO FUTURE」の冒頭は次のようなナレーションで始まる。

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労働党は戦後山ほど公約を掲げたが
労働者のためにしたことはほんのわずか
彼らは道に迷い 途方に暮れていた
労働者階級の意義さえ見失っていた

寒くて惨めだった
仕事がなく失業手当で食う
金持ち連中以外は
まともな人生なんて送れやしなかった

セックス・ピストルズの種は
そこから芽吹いた

これだけは言える
ピストルズは生まれるべくして生まれ落ちた

1970年代イギリスの救いのない格差社会の中で、その底辺にいる若者が音楽でカウンターを放つ。
ピストルズの誕生にはそんな背景と必然性があった。

そこからは「反物質主義ー精神性・内面性の重視」といったキーワードも浮かんでくる。

ピストルズがレコード会社から解雇されて巨額の違約金を手に入れた際に音楽番組の司会者から次のような質問をされる。

「君らの反物質主義的な生き方に反するんじゃないか?」

(ピストルズには物質主義的・拝金的なイメージも強い気がするけど。)

ブルーハーツの歌詞から見えるもの

一方、ブルーハーツが活動した1980年代後半〜1990年代前半はまさにバブル期。
社会状況や構造は全く違うが、ブルハの歌詞も若者という弱者の側に立ち、大人や権威的なものに対抗するという要素を多分に含んでいる。

もちろん、実際ヒロト達も若者であり、根っこにあるのは等身大の自分たちの心情だろう。

でも、それまで聴いてきた音楽のメンタリティを意識的に踏襲している面も小さくないように思う。

ピストルズより前に傾倒していた黒人ミュージシャン達も人種差別を受ける社会的弱者だった。

ガツンとやられたミュージシャンたちの在り方を自分たちの音楽に反映させるのはごく自然なことだろう。
とりわけ創作の初期の頃において。

弱い者に寄り添い、共鳴し、鼓舞する。

そういった傾向はヒロトの歌詞にもマーシーの歌詞にも沢山見られる。

ブルーハーツの歌詞に見られるルーツミュージックの影響

一曲例を挙げるとマーシーの「青空」。

生まれた所や皮膚や目の色でいったいこの僕の何がわかるというのか
運転手さんそのバスに僕も乗っけてくれないか
行き先ならどこでもいい

「皮膚や目の色がアイデンティティを左右する」という感覚は普通の日本人にはないものだろう。
「バス」というモチーフも、人種問題で有名な黒人が白人に座席を譲らなかったため逮捕された「ローザ・パークス事件(1955)」を思い起こさせる(名前は今検索して知ったが)。

「行き先ならどこでもいい」からは、「何よりも平等にバスに乗りたい。バスに乗れる自由があるなら行き先はどこでもいい。」という切実で切ない想いが伝わってくる。

また、1stアルバムの1曲名からは、かなり明確なピストルズへの意識が見て取れる。
1stの一曲目はマーシー作曲の「未来は僕らの手の中」。

ニヒリスティックなスタンスもパンクの一つの特徴で、ピストルズは「God save the queen」で王室や体制を挑発しつつ自分たちも含めてイギリスに未来はない「NO FUTURE」と歌った。

それに対してブルハは、同じく「くだらない世の中だ ションベンかけてやろう」と挑発しつつ、「未来は僕らの手の中」と歌った。

そこからは、あえて明確にピストルズを意識しつつ、より対比的に自分たちのスタンスを打ち出しだそうとしていたように感じる。

ヒロトの歌にもマーシーの歌にもずっと根っこにあるのはポジティブなエネルギーだ。

パンクシーンとブルハの歌詞全体をみた時に浮かぶ「ドブネズミ」の意味

話が見えにくくなってきてるかもしれないので、言いたいことをまとめると次の3つ。

1つ目。
ブルーハーツの歌詞には「弱いものたち・はみ出しもの達・ロクデナシ・少年・チンピラ・クズ共」など「弱者」を表すフレーズが多く用いられている。
そして、弱い者の側に立ち、肯定するメッセージを含んでいる。

そういった点でまず、人に嫌われ蔑まれる「ドブネズミ」を「美しい」と肯定する表現はとてもブルーハーツらしい。

2つ目。
「ドブネズミみたいに美しく」はパンクの反物質主義的精神(内面性の重視)をよく表している。

ドブネズミの見た目は美しくないが、問題は見た目じゃなく中身だ、というメッセージと受け取れる。
「青空」の「皮膚や目の色で僕の何がわかるというのか」という歌詞とも通じている。

3つ目。
これが一番大きいと思うんだけど、一言で言うと「ドブネズミ」は端的に「パンクス・パンクロック」のメタファーと考えられる。

※パンクス…ここではパンクロッカーを指しているが、パンクカルチャー全般を表現する人。
※メタファー…隠喩。簡単に言うと「たとえ」。

「ドブネズミ」と「パンク」が重なると思う理由

この点がピストルズとか初期のパンクシーンを知らないと全然ピンとこないところだと思う。
というのも、今「パンク」と言っても特にネガティブなイメージはないだろうから。

日本では1990年頃のブルハ、2000年頃のハイスタ、2010年〜のWANIMAといったバンドの活躍で「パンク」はすっかり市民権を得て、アングラなイメージは薄くなった。

初期の、つまりヒロトがリアルタイムでパンクを聴いてた頃は、それこそドブネズミみたいに薄汚いイメージのものだった。

そもそも「パンク」は「不良、チンピラ」を指す俗語で、破れた服も安全ピンで留めた装飾もファッションではなく、単に貧乏だったから。
そして、攻撃的でうるさいパンクは世間の反感とひんしゅくを買い、まだロックの一ジャンルという認識すら定着していなかった。

「リンダリンダ」と同じ1stに収録されてるヒロト作曲の「パンク・ロック」の歌詞は、そんな風潮を端的に表している。

吐き気がするだろ みんな嫌いだろ

パンクはカッコいいものではなく、吐き気がするくらい嫌われてるものだったのだ。

ピストルズはそんなパンクスの最たる例だろう。
メンバーは元々街のゴロツキで、デビュー後もレコード会社から2度解雇、ライブハウスからは公演拒否、右翼からは襲撃され、地方議員からは「人類の敵」と糾弾された。

そんな「薄汚い」パンクだけど、ヒロトにとっては心底感動し眩しいものだった。
自分もああなりたいと突き動かされた。

それは岡山のバンド経験ゼロの中学生に、高校なんか行かずバンドで生きる、東京に行くと決心させるほどのものだった。

ドブネズミみたいに美しくなりたい。

メジャーデビュー曲のこの歌詞はヒロトのそんな初期衝動を映し出しているように感じる。

「リンダリンダ」ではドブネズミをこんな風にも表現している。

ドブネズミみたいに誰よりもやさしい
ドブネズミみたいに何よりもあたたかく

「パンク・ロック」でもこんな風に歌ってる。

ああ、やさしいから好きなんだ
僕、パンクロックが好きだ

どちらも「やさしい」と感じているところからもドブネズミとパンクは自然に重なるのではないだろうか。

「NO FUTURE」を観て「リンダリンダ」に通じると思ったこと

記事の最初に映画の冒頭のナレーションを載せたが、そのナレーションの中で次の映像が流れる。

道ばたでのたれ死んでる醜いネズミ達。

これはナレーションにある「まともな人生なんか送れなかった」ワーキングクラスの民衆のメタファーと考えられる。
同時に、その民衆の一部であるピストルズのメンバーの姿とも言える。

映画の序盤、メンバー達は冴えない生活を送っていたが、バンド活動をはじめた途端、一躍時代の寵児にのし上がっていく。
観客はピストルズに熱狂し、周りの世界が変化し始める。

当時の状況を回顧し、観客やファンの若者を指して、ジョン・ライドンはこんな言葉を口にする。

落ちこぼれ連中が突然
「美しくないものこそ美しい」と叫びだした

冒頭のナレーションと合わせると、まさに「ドブネズミみたいに美しく」という歌詞そのものじゃないだろうか。

汚いネズミみたいだった社会の落ちこぼれがステージで脚光を浴び始める。
本来は雲の上の存在である王室や金持ち連中をこき下ろす。
それまではみすぼらしかったり異端だった格好も、「イケてるファッション」とガラッと価値観が変わる。

それはまさに「美しくないものこそ美しくなった」瞬間だった。

そして、10年の時を経て、日本でもその衝動に感染した一人の若者が「ドブネズミみたいに美しくなりたい」と叫ぶ。

「NO FUTURE」は2000年制作なので、ヒロトがこの作品の表現を意識したということはないが、映画を観ると改めて「ドブネズミ」はパンクロックを指しているように思えた。

さいごに

言いたいことはもう全部書いたので、ここからは余談。
「この文章を書いててふと思い出したこと」と「リンダ」と「決して負けない強い力」について。

初めて「甲本ヒロト気持ち悪い」と言われた時の話

パンクはカッコいいものとイメージが変わってきたと書いたけど、そう言えば自分が高校の頃(ヒロトがハイロウズの頃)こんなことがあった。

ハイロウズがMステに出演した翌日、ヒロトを初めて観たらしい友達が不意に感想を口にした。

「甲本ヒロトってなんか気持ち悪かった」

自分は初めてブルハを聴いた時から衝撃を受けて、当時は「甲本ヒロトは実はこの世に存在してないんじゃないか」くらいの感覚だったので(伝わるか分からないけど、本当にそんな感覚だった)、この言葉はものすごい衝撃だった。

普通はそんなこと言われたらムカつくところなんだろうけど、それをはるかに通り越して「あれを気持ち悪いという感性がこの世に存在するんだ」という一種のカルチャーショックを受けた気分だった(続けて「そっち側の人間じゃなくて良かった」となんだかすごくホッとした)。

言った友達もけなす感じではなく、本当に何気ない感じで。
それこそ「ドブネズミは汚い、爬虫類は気持ち悪い」と当たり前のことを当たり前に言っただけという感じだった。

言われてみれば確かに、鼻ほじったり舌出しながら暴れまわる人間が当たり前に「カッコいい」はずがなく。。

ハイロウズ時代はそれでもマイルドになっているので、ブルハ時代はもっと「気持ち悪い」ものだったろう。

そう考えると、ヒロトも「美しくないものを美しく」昇華させた張本人で、ヒロトに揺さぶられた人間は「ドブネズミの美しさ」がわかる人間と言えるかもしれない。

「リンダ」とは?

あえて触れておいて何だけど、「リンダ」についてはまったく考えたことがない。

外国人の女性の名前が歌詞に使われてる曲は山ほどあるので、いちいち気にしてられないというか、、
そんなこと言ったらミッシェルの曲なんて、どんだけ考えないといけないのかと。

というわけで、「リンダ」に関しては何の考えもなく、wili見たらヒロトも「僕もわからない。歌詞カードにも載せてないから自由に歌っていい」と言ってるとのこと。

でも、ミッシェルの曲は女性の名前が多いけど、ヒロトの曲はこれくらいなので、意味深といえば意味深ではある。

「決して負けない強い力」とは?

これも聴く人に委ねられてるところが大きいと思う。
その上で「NO FUTURE」と結びつけて考えるとしたら、「自分自身に忠実であること」が思い浮かぶ。

さっき、「ピストルズがカッコ良く見えるように価値観が変わった」と書いたけど、あまりに格好を真似されるので次第にジョンはウンザリするようになる。

作中そのくだりでジョンは
「パンクは破壊された。ファッションにしか興味のない奴らに。自分自身に忠実であることが全てだ」
とコメントしている。

ヒロトは「クラッシュのジョー・ストラマーのようになる、それは誰の真似もしないこと。」とも言っているし、「一つだけ持つ強い力」の一つの答えとして「自分に忠実であること」はしっくりくるんじゃないだろうか。