
2002年、Dragon Ashのkjこと降谷建志がZEEBRAに「公開処刑」でパクリについて批判された。
もう15年以上も前のことだが、ここ数年でも度々ネットで言及されてるのを見かける。
リアルタイムで知らない人も多いだろうし、やはり双方のファンにとっては気になる出来事だろう。
自分も最近はDAの熱心なリスナーではなくなったが、当時はファンクラブにも入っているほどのファンだった。
そこでイチファンとして、あの一連の事件をどう思ったか?
いくつか感想を書いておきたい。
内容をザッと書くと、
- 事件の概要と「Summer Tribe」を聴いた時の感想
- Kjの「物真似」が行き過ぎた原因について【AIRとの関係が遠因だった?】
- Kjがzeebraのdis、ビーフに応酬しなかったのはなぜか?
- この「事件」を考えるにあたって一つ踏まえておきたい事実
さいごに、Kjの公開処刑後、ZEEBRAが主演したドラマについて感想を。
余談だけど、これも結構言いたいことだったりする。
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事件の概要と「Summer Tribe」を聴いた時の感想
概要については他にも沢山情報があるので、さわりだけ。
kjがZEEBRAの怒りをかった一番のキッカケは2000年7月リリースの8thシングル「Summer Tribe」。
DAは当のZEEBRAとコラボしている「Grateful days」はじめ、その前からラップ自体は取り入れてた。
しかし、「Summer Tribe」は声・フロウ・ステージでの振る舞い、全てにおいてZEEBRAの影響が明らかだった。
明らか、といっても初めて聴いた時は「ZEEBRAソックリ」という意識は特になく。
あまりHIPHOP自体に馴染みがなく、馴染みのないジャンルの音楽はだいたい同じように聴こえるので、すぐにはピンとこなかった。
さすがに突然吐き出すようなガラガラ声に変わったので、違和感を感じたのは覚えている。
叙情的でウェットなテイストがKjの売りだと思うので、Zeebraライクなドライなラップは、パクリ以前にそもそもハマっていなかったと個人的には思う。
後に「公開処刑」後、改めて聴き比べてみて「これは確かにアレだな…」と。
歌詞や曲の雰囲気もZEEBRAのデビューシングル「真っ昼間」に似ている。
(ZeebraがKjに「真っ昼間」のRemixを依頼したことが2人が繋がるキッカケ)
パクリに関しては、本人も「リスペクトから来たもの」と認めているので自他共に異論はない部分だろう。
だいぶ経ってから知ったが、「処刑」後バンドメンバーで土下座した看板まで出して、発売予定のマキシを取りやめにしたらしい。
当然、その後の音楽性や歌い方は「ZEEBRAっぽいHIPHOP」から意識的に離れていくようになる。
Kjの「物真似」が行き過ぎた原因について【AIRとの関係が遠因だった?】
kjの「物真似」が行き過ぎてしまった要因の一つに【AIRとの関係】があると個人的に感じている。
AIRとは車谷浩二のソロプロジェクトのこと。
kjはZEEBRAの影響を大きく受けたが、その前はAIRの影響も強く受けていた。
特に2ndアルバムの「Buzz Songs」の頃。
10曲目の「Mustang a gogo」は思い切りAIRの「DIVE & DIVE」。
その前の9曲目「Melancholy」に至っては、歌詞にAIRを登場させていて、ZEEBRAに負けず劣らずリスペクトしていることがわかる。
(AIRに「kids are alright」という曲があって、「kids are alrightと唱える人」という歌詞はAIRのこと。確かkj本人談。)
そして、「Greatful days(2000)」の後、2001年にはAIRとも「Right Riot」を共作している。
では、なぜこの関係性が「公開処刑」を招いたと思ったのか?
理由は、AIRの「パクリ」は本人に許容された、むしろ「リスペクト」という形で喜ばれたから。
つまり、kjにとってある種の「成功体験」になったと思うからだ。
「音楽と人」2001年4月号。AIRは降谷が「メディアを通してずっとAIRが好きだったと言ってくれてたのが嬉しかった」とコメントしている。
では、どうしてAIRはすんなり受け入れたのか?
その背景としては、AIRも様々な音楽性を取り込んだミクスチャーロックを鳴らす中で、結構ダイレクトに他アーティストの影響を反映していたから、というのがあったように思う。
例えば、DAの「Mustang a gogo」はAIRの「DIVE & DIVE」と書いたが、その「DIVE & DIVE」もわかりやすくpistolsの「EMI」だったりする。
さらにいえば、AIRもkjとの交流後、kjの影響をダイレクトに見せる部分があった。
例えば、2001年3月発表の「Flying colors」のジャケット。
この右下のAIRの紋章のようなロゴ。
唐突に作られたこのロゴはDAが歌詞やビジュアルイメージで使っていた「百合の紋章」から着想したものだろう。
このようにAIRに関しては、真似をしたけど問題にならず、良好な関係も築けた。
この経験が、kjの「模倣」に対する意識のハードルを下げることに繋がったのでは?と思うのだ。
AIRの「色んな音楽を参照しながら作り上げる」という創作スタンスを積極的に踏襲した、という見方もできるかもしれない。
次に書くように、この頃のDAはかなり「物怖じせず」他のアーティストや曲を参照している傾向が見える。
2000年前後、パクリ疑惑の曲は「Summer Tribe」だけではなかった。
パクリに関して大きな話題になったのはZeebraだけだった。
が、この頃「Summer Tribe」以外にも「さすがにコレは…」という危うい曲がある。
kjがsteady&Coという別ユニットで発表した「春冬秋冬(2001.12)」。
これも哀愁漂うギターのメロディがAIR「Flying colors(2001.3)」収録の「夏の色を探しに」と似ている。
(↓カットされてるが特にイントロ部分がわかりやすい)
他にも2002年1月の「Life goes on」のサビのメロディは、Fun Factoryの「I Wanna Be With U」に酷似している。
2000.07「Summer Tribe」
2001.12「春冬秋冬」
2002.01「Life goes on」
この短期間にこれだけ「ん…?」という曲が並ぶのはちょっと普通とはいえないだろう。
しかも、全部結構なヒット曲。
「Buzz Songs」の頃はまだ「一捻り加えてる」感があるが、この3曲はそうした意識も薄い。
やはり2000年頃は全体的に「パクリ」への意識が緩んでいたように思える。
そして、2002年10月に「公開処刑」。
こうして考えると、「痛い目」を見るのは時間の問題だったし、アーティストとして必要な良薬だったように思う。
【追記・訂正 2018.07.11】
コメントにて「steady&Coの「春冬秋冬」のギターは『夏の色を探しに』のサンプリング」との指摘をいただいたので、その点訂正します。
「痛い目を見るのは〜」という感想に関しては、大きくズレはないため文章自体は残しておきます。
同じくコメントしてもらったように「『hot cake』はAIRの『today』」だったり、ここでは挙げてないけど、他にも結構ダイレクトに影響を感じる曲があったりするので。
kjがzeebraのdis、beefに応酬しなかったのはなぜか?
dis(=批判する)、beef(=言い争い)はHIPHOPの一つの文化・慣習。
有名どころだと、故dev largeとK Dub Shineが曲の応酬でdisり合った。
そのため、
「KjはZeebraのdisへのアンサーソングを出すべきだった」
「disに応じず、ただ謝ったkjは腰抜け」
と言った意見を見かける。
そのコメントに対して、イチファンとして思うのは、
kjは確かにHIPHOPに傾倒していたが、disりあいという文化には共鳴していなかった
ということ。
逆に、それまでKjがDAで発していたメッセージは、一言で表すと「共闘」だった。
「Viva La Revolution」の「Humanity」の歌詞は、その精神性をよく表している。
「かなぐり捨てたニヒリズムの向こう
傷つける以外の表現方法
唱えてやまない Give and Take
君たちも何かでここに並ぼう
〜
自分が自分であるための自覚
傷を舐め合う以外の共闘手段
唱えてやまない Give and Take
まず自分の力でここに立ちたい」
このメッセージ性は、よりZeebraの影響が強まっていたアルバム「Lily Of da vary」でも同様だ。
なので、もしdisの応酬をしていたら、それこそ上辺のHIPHOPかぶれで、今までの音楽はなんだったんだという話になる。
「Viva La〜」の頃、DAはHIPHOP勢から盛大な批判をくらっていた時期だった。
その頃に先駆者として自分に力を貸してくれたZeebraは誰よりも心強い「共闘者」だったろう。
「リスペクト」ゆえに真似してしまったというのは、偽りない本心だと思う。
純粋に憧れ、悪気なく全てを「継承」したZeebraから「公開処刑」をされたのは、本当に予想外でただただショックだったろうなと想像する。
この事件を考えるにあたって一つ踏まえて欲しい事実
パクリに関しては有罪として、今振り返るにあたって一つ考慮してもいいんじゃないかという事実がある。
それは当時のkjの年齢とキャリアのこと。
問題になった「Summer Tribe(2000)」の時、kjの年齢は21歳。
この若さは結構意外に感じる人も多いんじゃないだろうか。
今回自分も改めて年齢を確認して驚いたし、現在の年齢がまだ30代(38歳)というのも驚いた。
宇多田などは「早く世に出た天才」というイメージがあるが、Kjも十分若くして成功してミュージシャンだった。
18歳でデビューし、「Viva la Revolution」で約200万枚のヒットを飛ばした時はまだ二十歳。
まして、18の頃は、スマパンなどの影響を受けたロックバンドだった。
それからたった2年で変化・進化をし続けていくには、まずは先駆者達の音楽をインプットすることが必要だし必然だった。
その中で性急になりすぎて、「バランス感覚」を見失ってしまった部分もあるんじゃないだろうか?
この「パクリ」は貪欲に自分たちの音楽を模索・開拓する中でのアクシデント的な落とし穴だったと言えないだろうか。
そういった前傾姿勢があったから、ロックバンドでデビューし、そのたった3年後にHIPHOPという全く別のジャンルで音楽シーンにあれだけのインパクトを与えられたのだろう。
もちろん、だからといって免罪されるわけでもないし、全肯定したいわけでもないけど。
でも、そういうポジティブにとれる一面もあると思う。
少なくともあの頃まだ21だったという事実は、情状酌量の余地くらいはあるように今改めて思う。
さいごに
冒頭に書いた公開処刑後のZeebraのドラマについて。
Kjの公開処刑後の、ZEEBRA主演のドラマと演技は一体なんだったのか…?
2002年にZeebraは自分のモノマネをしてるとKjを批判した。
そのZeebraが2005年に深夜ドラマで主演をした作品がある。
タイトルは「15歳のブルース」。
Zeebraは何度も大学を留年してる破天荒な家庭教師役を演じている。
(ちなみに生徒役は手越祐也)
何が言いたいかというと、「自分も松田優作パクってるじゃん…」ということ。
しかもKjを「公開処刑」後に。
設定からして松田優作主演の「家族ゲーム」。
名前に至ってはそのまま「探偵物語」と同じ「梅川”俊作”」で髪型も同じ。
twitterかどこかで松田優作へのリスペクトも公言している。
世代ではないけれど、結構松田優作ものは見ているので、たまたま「15歳のブルース」を見かけたときは
「いやいやいや・・・」
と驚いたし閉口した。
数年前にKjを「フェイク野郎」呼ばわりしておいて、その分かりやすくて浅い松田優作のパクリッぷりは一体…?と純粋に不思議だった。
演技も、松田優作が生きてたら「公開処刑」以前に「out of 眼中」だったろう。
HIPHOPはじめたてのKjの方がはるかに堂にいったパフォーマンスをしていた。
この点に関しては、本人や誰かが言及してるのを見聞きしたことがない。
「公開処刑」の記事を見かけると、毎回セットで「アレは一体どういうことだったのか…」と思い出す。
【追記 2019.05.06】 Twitterで「公開処刑の後日談」が話題に
先月のイベントでZeebraが今の二人の関係についてコメントしている動画をアップした方がいて、そのツイートが軽くバズってたので追記。
日本のHIPHOPきってのbeefとなったZeebraとKj(降谷建志)。今でもぎくしゃくしてるが、嫁同士(中林美和とMEGUMI)は仲がよく、一緒にカラオケで「Grateful Days」を歌う仲。いい話(笑)
動画は2分弱の短いもので、コメントの内容をまとめると、
Zeebra的には過去の話で全然気にしてない。
ただ、ラッパ我リヤのQの結婚パーティーでKjに会った際、Zeebraから普通に話しかけたらKjの反応はイマイチだった。
それからは一度も会ってなく、まだ関係修復はしてない状態。
とのこと。
(時期については話してないが、Qの結婚を確認したところ、おそらく2010年頃。)
記事を読んでもらうとわかる通り、自分は(DAファン側なので)全体的にZeebraの言動を良くは思っていない。
このエピソードも「それはディスった方は水に流せても、ディスられた方はそんな何事もなかったように話しかけられても…」という印象。
嫁同士が「Grateful Days」でコラボしてる話はネタとして最高だなと思う(笑)
すごくわかりやすく解説されていました。
DAも聞き、キングギドラも聞いていて、どちら側でもなく過ごしていました。
それでもぼんやりとDAが真似しすぎちゃったんだなきっとと思っていました。
I Wanna Be With Youのくだりはびっくりしました!!聞いた瞬間「この曲知ってる!Life goes onじゃん!」と思いました…
むしろ彼らにDisられたらしょうがないかもしれない…!
気になっていたことがするすると紐解かれていきすっきりしました。
ここまで知ったうえで判断するのは個々の自由ですね。私はやっぱりどちら派でもないです。