思わせぶりで意味がよく分からないタイトルですが、他にしっくりくるのが思い浮かばなかったので。

「ジッタ」は「プレゼント・夏祭り」といったヒット曲で有名なジッタリンジン。
「フジファブ」も「銀河」「若者のすべて」など多くの代表曲を持つバンド、フジファブリック。

フジファブはボーカルの志村正彦が2009年に急逝したことにより、「志村のフジファブリック」はなくなってしまいました。
(フジファブ自体は残ったメンバーで活動中)

一方、ジッタは2011年から活動休止状態で音沙汰がない状況が続いています。
そんな2組をみて、ふと思ったことについてです。

志村の訃報以降、聴けなくなってしまったフジファブリック

2009年12月24日、志村正彦が亡くなり、それからフジファブの曲を聴く気になれなくなりました。

いい大人が感傷的すぎる話ではあるけれど、その理由の一つはフジファブの歌詞にあると思います。
というのも、フジファブの曲は「お別れ」や「思い出」を連想させる歌詞が多いのが特徴。

一番、切なくなるのが「桜の季節」。

桜の季節が過ぎたら遠くの町に行くのかい?
桜のように舞い散ってしまうのならばやるせない

歌ってる本人が桜のように枯れる前に散ってしまい。
自分の死をもってして、歌詞の説得力を絶大にしてるってある意味アーティストだなと感心しつつ、本当にやるせない。。

「黒服の人」に至ってはタイトル通り、直球でそう言う歌です。

遠くに行っても忘れはしない
何年経っても忘れはしない

あれから10年近く経ち、いつの間にか志村の年齢を越してしまったけど、歌詞通り、何年経っても忘れてません。

これだけでなく、フジファブには他にもたくさん「さよなら」を思わせる歌があります。

「笑ってサヨナラ・ByeBye・記念写真・赤黄色の金木犀・茜色の夕日・Anthem・エイプリル・クロニクル・セレナーデ」

こういう曲を亡くなった志村自身の声でセンチメンタルに歌い上げられると、どうしても複雑な気分になってしまい。
あれからずっと聴く気になれないまま今に至ってます。

たぶん、一種の荒療治で聴き込めば、そういう抵抗感も薄れていくとは思うんですが、なかなか。。

ジッタリンジンの曲もお別れの曲が多い

ジッタの歌詞も「お別れ」や「過去の思い出」をテーマにしたものが多いです。
今回比べてみて、改めてフジファブとジッタは歌詞の雰囲気が近いなと思いました。

例えば、一番有名な「プレゼント」もお別れの歌ですが、「夏祭り」もそう。

君がいた夏は 遠い夢の中
空に消えて行った 打ち上げ花火

音信が途絶えてる中、一番ストレートに響くのは「アスタ・ラ・ビスタ!」と「こいのぼり」。

「アスタ・ラ・ビスタ!」

君の大好きなギターにあわせて
君の大好きな唄を歌うよ
もうすぐお別れだ
今夜限りかな

僕らまたいつかいつかいつの日か
僕らまたここにここに立つだろう
もうすぐお別れかな

Hasta la Vista la Vista la Vista!
Hasta la Vista 元気でな

Hasta la Vista la Vista la Vista!
Hasta la Vista また会おう

「こいのぼり」

空を泳ぐこいのぼり 天に上って
伝えてくれ一つだけ 僕は元気だと

サヨナラ愛する人よ いつか会う日まで
そうだね別れはいつも こんなもんかね

君がいなくなってしみわたった
無責任に晴れた5月の空

どう聴いても、ジッタ自身の活動と重ねて聴こえてしまう歌詞です。
そして、フジファブ同様、他にもお別れを思わせる曲がたくさんあります。

「サヨナラ・バイバイハニー・いつかどこかで・ひっこし・帰っておいで・SINKY-YORK・GOOD LUCK・コスモス・クローバー」

でも、フジファブと違ってジッタの場合は、ファンクラブが休止した2011年以降もずっと聴き続けられています。

はっきりとしたサヨナラがないお別れと淡い希望

絶対的なサヨナラを突きつけられたフジファブリックと、サヨナラもなく姿を消したジッタリンジン 。

サヨナラから聴けなくなってしまったフジファブリックと、ずっと聴きつづけられているジッタリンジン。

そんな2組を比べて思ったのが、
(もしも仮にですが)ジッタが事実上の解散をしているとしても、はっきりとしたサヨナラがなかったのは良かったのかもしれない、ということ。

「いつかまた」と淡い希望が残ってるから、フジファブの場合と違ってずっと聴き続けられる。

そして、それは(本人たちが意図したことではないにしろ)ある種のやさしさと言えるのかもしれない。

そんな風に思えました。

さいごに

この記事を書いたキッカケは他のジッタの記事でもらったコメントです。

勝手に引き合いに出してすみませんが、その方が
「ジッタがいなくなったことに対して『まだ心の区切りがついてない』」
ということを言われていて。

それを読んで、確かに自分も区切りがついてないなと。
でも、「それはそれで良いことなのかもしれない、特にフジファブのことを考えると」と思って。

これからも心の区切りをつけずにジッタを聴き続けようと思いました。

実際、本当に復活はないことじゃないと思ってますしね。

それと、もう10年も経ったので、いい加減これを機にフジファブを聴こうというのもあって。
志村の死後リリースされたラストアルバム「MUSIC」を聴きつつ、案の定切ない気分に襲われながらこれを書きました。

ラスト「眠れぬ夜」の最後に志村の生前の肉声が入ってるの、ほんと切ない。

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