タイトル通り、電気グルーヴの『DENKI GROOVE THE MOVIE?』を観に行ってきたので、その感想を。

サムネイルは入場時にもらったステッカー。
一応『ネタバレ的な記述』あり。

『DENKI GROOVE THE MOVIE?』

特設サイトの説明を抜粋。

これまで世に出ることのなかった幻の初ライブから現在に至るまでの膨大かつ貴重な映像資料と、元メンバーやスタッフ、アーティストたちの証言により、克明に語られる電気グルーヴヒストリー。

自分はコアなファンというわけではなく、ベストとアルバム数枚聴いてる程度。
でも、コンスタントに聴き続けてるし、改めてどんな存在だったのか興味があったので、行ってみることに。

上映日の数日前には空席だらけで、意外に思っていたら当日には約130席が完売だった。

以下、感想を箇条書きで。

とにもかくにも、『面白かった』

2時間弱、全く退屈せず見入ってしまった。
主な構成としては、抜粋通り、電気の関係者達の生の声で、当時どういう状況だったか、電気はどんな存在だったかが語られている。

元メンバー(CMJK、砂原良徳)が加入/脱退した背景や、海外進出/売上不振時の様子、レコード会社との軋轢や、『Shangri-la』が生まれた際のエピソードなど。
多彩な視点と端的なボリュームで電気の足跡を見渡せる。

浅いファン故、知らないことばかりだったこともあり、全てが新鮮で興味深かった。

特に、時系列に沿ってアルバムごとに、『どんな意義があったのか』という解説が軸になっていたので、アルバム一枚一枚をきちんと聴き直したくなった。

意外だったのはあらゆる面で潤風満帆で陽の印象しかなかったので、軋轢/不振など負の一面が垣間見えるシーン。
山崎洋一郎が石野卓球がインタビューで涙を流したのは予想外と語っていた場面もあった。

ただ、今書いていて思ったのは、脱退したメンバーしかり、負のエピソード(意見の対立/活動休止)を語るレコード会社の方しかり、みんな笑っていたこと。
それもひとえに二人の人徳、というかキャラクターゆえなんだろう。

ライブに行きたい衝動に駆られる

作品のオープニングではライブでのオープニング風景が流れる。

そこでは曲が始まる前に次のシーンに切り替わるのだが、映画館の大スクリーン/大音量で曲が流れたら、ライブ会場のそれと同様の高揚感を覚えて、なんかもう映画はいいからそのまま曲を聴きたい気分になった。
そして始まって数分で『いつか絶対ライブに行こう』と決意。

そのあとも随所でライブシーンが流れ、その度にウズウズさせられた。

『ふざけた人達』と再認識

『ふざけた人達』という認識はしっかりあったものの、プライベートの感じなどよく知らない自分は真面目にプレイする石野卓球や真面目に演技をするピエール瀧の印象の方も大きかった。

それを吹き飛ばすほど、ここまで振り切ってふざけてた人たちだったのか、とちょっとした衝撃だった。
ライブパフォーマンスから、日常のワンシーンまで『楽しもう、楽しませよう、バカをやろう』精神に溢れていて。

ジャンルとしてカテゴライズすると『テクノ×ラップ』とかではなく、もはや『テクノ×バカ』とした方が的を射てるようにすら思った(褒め言葉)。

かなり面白い場面が沢山あったが、劇場では笑い声一つ上がらなかったのはおそらく年齢層が高かったせいだろう(ぱっと見20後半〜)。
そんな『笑ってはいけないDENKI GROOVE THE MOVIE』な空気もあって、笑いをかみ殺しつつの鑑賞になった。

反対に『音楽性』における誠実さ

振る舞いでは不真面目さで振り切っていたが、音楽性に関しては誠実極まりないことも再発見だった。
元メンバーの砂原良徳との決然とした別れは、卓球との方向性の違いであったし、一時活動停止した理由も、
『音楽的にやりきったから、これを続けても惰性になる。それは二人ともできない』
というものだった。

山崎洋一郎が『ロックバンドなら、なんとなくメンバーが集まってセッションしてたらアルバムができるが、電気は都度自覚的に新しいものを作り上げなければいけない。それは相当しんどいこと』という旨のコメントをしていた。

個人的に思い入れのあるバンドのクロマニヨンズなど、確かに前者を地でいくスタンスでやっている。
もうクロマニに関しては全アルバムをミックスして、ランダムに10曲位まとめても全部アルバムとして成立するくらいに思う。

対して、電気は中山道彦が『N.O.はVITAMINに入れるのは遅い位だった。これ以降にはもっと入れづらくなる』とコメントしていたように、そのアルバムごとの必然性が確固としてあるアーティストなんだなと思った。

卓球と瀧のコンビとして繋がりの強さ

またクロマニヨンズを例に挙げると、卓球と瀧にはヒロトとマーシーくらいの強い結びつきを感じた。
『この二人が組んだ時のワクワク感』というか『この人の隣には絶対この人がいる、みたいな安心感』というか。

気になったのは、電気が活動停止した際、周囲やファンは二人が疎遠になると思ったのだろうか?
(このまま解散しそうと語っていた人もいたが)

ハイロウズが解散した際に、次もヒロトとマーシーが一緒にやることに関しては全く疑っていなかったし、そう思っていたファンは多かったように思う。

そんな結びつきの強さを二人にも感じたので、現在にいたる再活動もむしろ必然に思えたし、今後もどんな形にしろコンビでの活動は続くと感じた。

『電気グルーヴ』を語るのはあくまで周囲の人で、本人達は語らず。

二人は電気グルーヴを音楽と行動で体現している存在で、言葉で『電気とは』と語っている姿はらしくないし、構成としても正解だと思った。

ラップに対する視点がないのが残念

個人的に電気の最も特異と思うところは、石野卓球のラップ。

特に初期の作品に見えるナンセンスな歌詞を吐きだしている卓球のラップに得体の知れない ールーツも型も見えない自己流にして無敵の空手家みたいな凄みを感じる。

作中は音楽性に焦点をあてた部分は勿論沢山あるんだけど、そのラップに関しては一切触れていない。

例えばセールスに関して、インストにするかどうかがキーになったというシーンはある。
(VITAMINでレコード会社の反対を押し切ってまでインストを多数入れている)
それを言うなら、ラップにするか歌ものにするかも売上に大きな影響がある筈だが、触れられていない。

それはつまり、本人達/周囲にとって特に重要ではないということだろうけど、もう少しラップの存在に焦点をあてて欲しかった。

サカナクション、山口一郎だけ若干浮いてる

インタビューするキャストのほとんどは電気とある意味対等の存在なので、ストレートで血の通った言葉が聞けた。
それがこの映画の背骨であるし、面白さであるのは間違いない。

ただ、山口一郎だけ一ファンとして、(嫌な言い方になるが)毒にも薬にもならないごく一般的な電気評を述べている。

実際、電気は雲の上の存在だし、語ること自体畏れ多いことだから仕方ないとは思う。それに作品的には最近の若いリスナーに対する訴求力を強める意味でのキャスティングだったとも想像する。

ただ、いかんせん一人だけ浮いていて、この作品における存在意義は疑問に感じた。

最後に

『大して書くことないけど』と思いつつ書き始めたら、最終的に3000字を超えていて驚いている…。
書いてるうちに色々思い出して、書きたいことが出てくるもので。

最後にこの作品を通して感じた電気の印象を一言で表すと、
『守・破・離』の離の果てで戯れ続ける玄人にして男子中学生
という感じ。
エンディングロールで爆笑してる二人の姿が全て。

とにかく面白かったし、濃く、あっと言う間の2時間だった。
次はDVDで笑いを噛み殺さずに観たい。