洋楽60’sガールズポップを漁ってた時に発見した「Miss Cathy Brasher(ミス・キャシー・ブラッシャー)」という歌手について紹介します。

後々知ったところでは、キャシーはオールディーズ好きの間では「知る人ぞ知る」伝説的な存在。
自分自身、彼女の歌を聴いた瞬間に「何だコレは…」と意識をもってかれました。

レコーディング時の年齢が13歳と知って、さらにア然。

活動期間は2年半(1964-1966)で、リリースしたシングルもたった4枚。
そのたった4枚で際立った輝きをみせながら、その後こつぜんと表舞台から姿を消してしまいます。

色々と気になる存在ですが、何よりも「惜しい!」の一言です。

以前購入した60’sディスクガイドで引退理由についても触れられているので、その辺の情報含めて紹介していきます。

ミス・キャシー・ブラッシャーについて

参考にする書籍は「60’s ガール・サウンズ・ディスク・ガイド」。


60’sガール・サウンズ・ディスク・ガイド

この書籍では約700枚の60’ガールズポップが1枚ずつ簡単な説明つきで紹介されています。

10組ほど著名なアーティストは1、2ページの特集が組まれていて、ミス・キャシー・ブラッシャーもその内の一人です。

世間的には無名でも、ロネッツやシャングリラスと同じ扱いとなっていてうれしいです。

↓紹介文から抜粋。

ミス・キャシー・ブラッシャーはリル・エンジェル・プロダクションに所属し、64年3月から66年9月まで約2年半の歌手キャリアの中で4枚のシングルをリリース、4曲の作詞作曲クレジットを残し音楽業界から忽然と姿を消す。まだインターネットが普及していない時代にマニアの間では不慮の死亡や結婚による引退説まで流れた。3枚目のチャタフーチーからのシングル「Sh…Listen」が日本でもリリースされたが当時は全くといっていいほど注目されなかった。

日本でリリースされた「Sh…Listen」の邦題は「涙のロンリーガール」。
当時売れなかったというのは、「まぁ、今も昔も売り方やタイミングで何がどう転ぶかはわからない」という感じです。

彼女が評価されたのは70年代で、まず日本のオールディーズ・コレクターが注目し始め、さらにゴールド・スター・スタジオが絡んだスペクトリアン・サウンドの派生系でもあるので、90年代以降は世界的にガールズ・コレクターさらにはノーザン系での人気が高まり、現在ではガールズ物コンピに必ずといっていいほど初期3枚のシングルのいずれかの曲が収録されるようになっている。

いまいち判然としない文章もありますが、とにかく後年、再評価され始めたとのこと。

↓気になる消息について。

さて2013年12月に偶然、あるサイトを見ていると彼女の兄の息子という人物が突然、26日に彼女が死んだ、享年63歳だったという書き込みを行った。

突然彼女が引退した真相は、若干16歳か17歳でどうやら結婚したためのようだ。

「63歳で死去」という情報は海外の複数のサイトでも見かけました。

そして、伝聞調になってますが、引退の理由は結婚したからみたいです。
「Miss(未婚女性の) Cathy Brasher」が結婚して、「Miss Cathy Brasher」を引退って、なんか示唆的な芸名ですね。

今さら何を言っても無駄ですが、活動当初から高く評価されていれば、引退という道は選ばなかったような気もします。

【ディスコグラフィー】 4枚のSingleをリリース

B面含めると計8曲を発表しています。
(作詞作曲を手がけたのはその内4曲)

4枚目のシングル以外はyoutubeやapple musicで聴くことができるので、動画を貼りつつ、紹介します。

簡単に全体的な曲の感想を一言。
どこがそんなにスゴいのかと言えば、歌を聴いた瞬間にシンプルに「格が違う」と感じました。
少女時代の美空ひばりの歌を聴いたときと近い印象を受けます。

楽曲も60’ガールズポップの魅力がギュッと詰め込まれたような曲ばかり。
どんなジャンルの作品でも「”本物”が”王道”を”ストレート”につくったものが最高傑作」だと思うのですが、正にキャシーの作品はそんな感じです。

そして、そんなものを13、4歳のデビュー作品でつくるって、本当に一体どういうことなんだと思います。
作詞作曲も手がけたというのはちょっと信じがたい部分もありますが、歌い手としてだけでも十分突出してます。

ハードルを上げきってしまいましたが、まだ聴いたことないという方はぜひ聴いてみてください。

「Too Late To Be Lovers」(1964)

A面の作曲のクレジットは「Cathy Brasher」。

B面は「I’ll Remember Jimmy」で、作曲のクレジットは「Bonnie Gray」。

「Only When I Dream」(1964)

A面の作曲のクレジットは「Cathy Brasher」。

B面は「Where Memories Begin」で、作曲のクレジットは「Harley Hatcher」。

「Sh…Listen」(1965)

日本でもリリースされており、邦題は「涙のロンリーガール」。
「ヒットパレード急上昇の強力チェーン」とジャケットにありますが、すでに書いたようにパッとしなかったようです。

作曲のクレジットは「Angel」。

B面は「He Told Me He Loved Me」で、作曲のクレジットは「Brasher」。

海外の情報サイトに「涙のロンリーガール」に付属している紹介文がアップされてました↓
http://www.45cat.com/record/dr101jp

「ソングライティングに熱中していて、将来は立派なプロになりたい」と願っていたのに、残念ながら次のシングルが最後の作品となります。

「All I Need Know Babe」(1965)

A面の作曲のクレジットは「Cathy Brasher」。
B面は「Little Boys」で、作曲のクレジットは「Angel」。

A面もB面もネット上で音源が見当たらず、CD、レコードで入手できるかも未確認です。
「60’s ディスク・ガイド」によるとA面は「特徴のない当たり障りのない曲」で、B面はインストとのことです。

さいごに

このタイミングでキャシーについて書いたのは、最近SOLEIL(ソレイユ)がデビューしたからというのもあります。

SOLEILというのは60’sガールズポップをコンセプトとしたバンドで、同名の女の子がボーカルを務めてます。
そして、その「それいゆ」の年齢も14歳。


My Name is SOLEIL

この頃、ネット記事でよく見かけて、かなりプッシュされている模様。
apple musicでも「今週のNEW ARTIST」としてフィーチャーされてます。

数年おきくらいに、「60’sガールズポップ」を復刻する動きが見られるのは、60年代の音楽好きとしては喜ばしいです。

SOLEILから入った人に、実際の「60’sガールズポップ」も聴いてもらえたらと、年齢も同じキャシーについて書いてみました。