『ヒカシュー』というバンド名を水カンが曲名に使用していたことが問題になっている。
問題自体はヒカシューの巻上公一が水カン側に抗議したことに端を発し、水カンが曲名を変更することで当事者間では解決しているとのこと。

が、この一件で、『法律的問題』や当事者の礼儀・マナー、はたまた巻上公一の『度量』の問題など様々な議論を呼んでいる。

さっきも法律的見地からの解釈を詳しく書いた記事を読んだ。

『人名・グループ名を作品タイトルに使ってはいけない? ~水曜日のカンパネラ「ヒカシュー」騒動と疑似著作権~』

ただ、個人的には法律とか礼儀とか度量とか以前に、まず疑問に思ったことがあったのでそれについて書いてみようと思う。

先に言っておくと、水曜日のカンパネラ、ヒカシューはどちらも名前をしっていて、曲もぼちぼち聴いたことある程度で特に深い思い入れはない。

そもそも何の思い入れのないアーティスト名を使用するのは珍しいし、不自然

結論から言うと、この問題でまず一番に思ったのが、これ。

他のアーティスト名を歌詞や曲名に使用している例は、上記の記事でも言及しているが決して少なくない。

今までそういう曲を聴いたときに思うのは、『あーこの人このアーティストが好きなんだな』ということ。
そこにはほとんどの場合、愛着や敬意が込められている。

例えば、今日たまたま聴いていた、きのこ帝国の『Girl meets NUMBER GIRL』、
これも思い切り、ナンバーガールとバンド名が曲名に入っている。

ただこの曲からはナンバガへの思いや影響がひしひしと伝わってくる。

他にも例えば、これも今日たまたま8月のLIVEのプレリザーブが当選したTha blue herb。

このTha blue herbはThe blue heartsをまんま使ってるわけではないが、それこそ紛らわしさでいったらより紛らわしい。
両方大好きな自分ですら、ぱっと見どちらか判別に困る。

しかも、The blue heartsは『未来は僕らの手の中』、Tha blue herbは『未来は俺らの手の中』という曲があり、知らない人は一体どういう関係だ?と首をひねるような有り様である。

自分も詳しい経緯は知らないが、『未来は俺らの手の中』はブルーハーツのトリビュートに収録される予定でブルーハーブが作ったもので、そこにはその名の通りトリビュート(賞賛・感謝)が込められている。

歌詞もほとんどオリジナルとは別物だが、原詞を換骨奪胎したような、真摯に原曲に向き合って作られたのが容易に汲み取れるものだ。

繰り返しになるが、要するに何が言いたいかというと、
自分が今まで聴いてきた他のアーティスト名などを用いた曲は、そのアーティストへの思いや影響も同時に感じる、ということ。

そして、それが自然なことだと思う。
そもそもそんな思いがなければ、わざわざ自分の曲に取り入れるわけがない。

『Girl meets NUMBER GIRL』を知って、向井秀徳は不快に思うだろうか。
(事前に許可をとったかどうか知らないが)
The blue herbの『未来は俺らの手の中』は『誤認誘導』だとヒロトがケチをつけるだろうか。

絶対そんなことにはならないだろうし、どちらも好きなファンとしても、好きなアーティストが好きなアーティストをリスペクトして、それを表明しているような曲を作るのは物凄く嬉しいことだ。

そこが今回の水カンの一件とは一線を画しているところであり、問題の根本のように思う。
何の思い入れも関係もないのに、『ヒカシュー』という名前だけタイトルにつけられていたら巻上公一が不快に思うのも当然のことだと思った。

補足とまとめ

ここまで、『ヒカシュー』は巻上公一のバンド名『ヒカシュー』からとったものとして書いたが(問題になってからもしばらくはそう思っていた)、実際はファミコンゲームのキャラクター名に由来しているらしい。

『水曜日のカンパネラ、楽曲「ヒカシュー」を「名無しの権兵衛」に改名 バンドのヒカシューから要請を受け』

ただ、音楽ファンが水カンの『ヒカシュー』を見たら、(少なくともファミコンのヒカシューよりは)バンドの『ヒカシュー』を思い浮かべるだろうし、歌詞を見て『なんでこれがヒカシューなんだろ。あのバンドとどんな関係が?』と疑問に思うだろう。

(というか自分が初めて『ヒカシュー』を聴いてそう思った。そして、『たぶんテキトーに響きがいいから拝借したんだろう』と予想していた。)

水カンのコムアイもバンドのヒカシューを知らないわけがないし、実際知っていたらしい。
であれば、リスナーにも誤解を与える可能性を考慮して、使用しない方がよかったと思う。

この問題に関して色々な意見を見る中で、自分が最も違和感を覚えた部分に触れたものがあまりなかったので書いてみた。

音楽に限らず、小説や漫画でも一種のオマージュとして他の創作者/創作物を取り入れているものは多々ある。
そこからはいつも『この人はこれが好きなんだ』とか『影響受けたんだ』と感じて、その繋がりで自分も手にとってみるということも多い。

もし、そういう思いがないのであれば、特に権利やパクリに難しくなってきた昨今、あえて使用するのは避けるべきだろう。