甲本ヒロトは『鉄カブト』で何を捨て、何を歌ったか。

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ブルーハーツ、ハイロウズに続く甲本ヒロトの3つ目のバンド、クロマニヨンズに『鉄カブト』という曲がある。
その歌詞の解釈とヒロトがこの曲に込めた思いについて書こうと思う。

(最初に書くとぼちぼち長文で一万字弱…。他にもまだ書き足したいと思ってることもあるし、もはや読んでもらうのは恐縮しつつ、読んでもらえたら幸いです。)

鉄カブトは発売当時(2009年)から人気の高い曲で、歌詞についても話題になっていた。
それを6年経った今あえて書くのは、この歌詞が約30年の活動の中でも、特殊なものだから。

ヒロトはブルハ時代からずっと歌詞に、ある一つの生き方・信念を反映させてきた。
繰り返し繰り返し、何度も同じことを歌詞に込めて歌ってきた。

それは当然意識的に為されてきたことで、『鉄カブト』では同じく意識的に、また一時的にそれを捨てている
そこからは特別な思いが見て取れる。

ずっと聴き続けてきた甲本ヒロトの”特別な曲”について一度書いておきたいと思い、遅ればせながら自分の考えをまとめてみた。

『鉄カブト』について

『鉄カブト』は2009年10月に発売された4thアルバム『MONDO ROCCIA(モンドロッチャ)』に収録されている。

ファンには言わずもがなだが、ブルハの時から曲・歌詞はほぼヒロトかマーシーが担当。
この曲の作詞作曲はもちろんヒロト。

曲はライブで盛り上がること必至のロックチューンながら、同時に哀切なシリアスさも漂っている。

歌詞も、どこか死を連想させ、やはりシリアスな雰囲気がある。

『届かない手紙を書く 帰らない人もある』
『命はいい 記憶だけは守ってくれ 鉄カブト
   あの人の 思い出は守ってくれ 鉄カブト』

『鉄カブト』 ーj-lyric.net

そのため発売当時歌詞について話題になったというのも次の解釈が主だった。

  • 2009年5月に亡くなった忌野清志郎に向けて歌ったもの
  • 2008年8月に亡くなった赤塚不二夫に向けて歌ったもの

両者とも曲の発表と時期が近く、清志郎はヒロトが葬儀で弔辞を読んだこと、赤塚不二夫は天才バカボンに『たたえよ鉄カブトなのだ』というタイトルがある事などから来てるようだ。
後者は雑誌でシェーのポーズをしてたりするので赤塚作品が好きというのもありそうだ。

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自分の考えは前者の方。
歌詞の『あの人』とはピンポイントに清志郎を指している、というもの。

と、結論自体は既に言われていることなので、そう考える理由を書いていきたい。

ヒロトとある哲学者の共通点 ー『今・ここ・自分』を謳う哲学

理由の前にまずは【ヒロトが歌ってきた信念=鉄カブトで捨てた信念】についての説明を。

ここでいきなり”ある哲学者”を引き合いに出したのは、解説書数冊でかじった程度の知識だけど、2人はスゴく近いと思うから。
(名前を出さないのはなんとなく)

哲学者の思想の全貌はわからないけど、少なくとも実存的な(どう生きるか)という考え/感覚については全く同じとすら思っている。

なので、ヒロトの説明の補助線としてその哲学者の説明を簡単にする。

哲学者の思想は難解だが、壮大な思想の出発点で【何をなぜ否定したか】は比較的掴みやすい、と思う。

であれば、終点までに築き上げていった思想【=どうあるべきか】も、始点で批判した内容【=どうあらざるべきか】の逆のベクトルの延長線上にあるはず。
(言わば、英語で『but』の前の文脈がわかれば、『but』の後は読めなくても大体わかるのと同じ。)

では、哲学者は何を否定したのかというと【キリスト教】。
なぜ否定したかというと価値の基準を【死後・天国・神(隣人)】に置いたから。

しかも、弱者は今ここにある生を全うできず、その現実も変えられないからゆえに、価値観自体を捏造していると見抜き、罵倒した。

『金持ちが天国に行くのはラクダが針の穴を通るのより難しい』といった聖書の一節などに弱者の卑しいルサンチマン・精神性が端的に表れている。

そこで哲学者は、まやかしでひっくり返した【死後・天国・神】という価値観を本来の【今・ここ・自分】に戻せと説いた。

死後ではなく、今。
天国ではなく、ここ。
神・隣人ではなく、自分。

自己犠牲を善とするのではなく(神ですら自ら犠牲になり、全人類の罪をあがなっている)、自分を活かすこと/自分自身の幸せをまず何よりも至上とすること。

ざっくりと言うと(でもおそらく本質的に)哲学者の主張はそうまとめられる。

ヒロト ー『今・ここ・自分』を謳うロック

長年のヒロトファンならもう結構ピンとくるところがあるだろう。

哲学者がアンチクリストなら、ヒロトも根っからの神様嫌い。
哲学者が来世や前世といった形而上なものを排除して今世に焦点をあてたように、ヒロトは『未来』や『過去』を排除して『今』を歌っている。

『今』が歌詞に出てくる曲はファンなら何曲も思い浮かぶだろう。

一般的にイメージとして定着しているのはたぶんブルハ時代。
(数年前初のブルハのパチスロ機が出た時は、『今がすべて!』というフレーズが激アツカットインだった)

でも、クロマニでも、というか数ヶ月前のシングル『エルビス(仮)』でも『今だけ』と何度も連呼している。
(エルビスはマーシー作詞作曲)

つまり、30年近く変わらず、ずっと『今!』を謳っている。
これは信念というに相応しいものだろう。

どのジャンルにしろ、『明日・未来』という歌詞は普通は良いイメージで用いられるが、ヒロトは過去はもちろん未来ですら否定する。

『明日があるさ』ではなく、『「俺たちに明日はない」(『angel beatle』ハイロウズ)』と歌い、『夜空のむこうに』想いを馳せるのではなく、『夜空の星よりも 今ここにあるもの(『夜行性ヒトリ』クロマニヨンズ)』と歌う。

昨日のことは蟻にあげたよ
   明日のことは蠅にあげるよ
   だけど今この瞬間は神様にもあげはしない
   イエー これはゆずれない
』のだ。
(『一人で大人 一人でこども』ハイロウズ)

ファンでも特に気にしてない人も多そうだけど、明日や未来を否定的に捉えた歌詞ってかなり珍しい。

同じ事は『夢』についても言える。
普通は夢は未来にむけたものとして使われる。

でも、ヒロトは夢を『今叶っているもの』という文脈で使う。
その点は歌詞ではあまり見られないが、よく雑誌のインタビューで『毎日ロックをしていること、レコードを聴いていること』を夢として毎日夢が叶ってると言っている。

『夢は全部叶うって今でも本気で信じてる。僕は毎日叶えてる。』

ー 『KAMINOGE vol.1』

『夢なんて見るモンじゃない 語るモンじゃない 叶えるものだから』
ではなく、『夢は今叶っているもの』なのである。

ここまで徹底して今を、今だけを肯定し続けている歌手は他に知らないし、ヒロトの根っこにある身体感覚だと伝わる。

他にも【今・ここ・自分】に通じる歌詞は沢山ある。
【今】に関した歌詞をいくつか挙げてみる。

『昨日も今日も関係ねー,今がすべてじゃ。』
(『ドブネズミの詩』(←歌詞やヒロトの言葉を収録した本)ブルーハーツ)

『今だけが生きている時間 なのになぜ待っているのか』
(『月光陽光』ハイロウズ)

『「明日こそは」とつぶやいて 泣いたのはおとといだった 明日なんかもう知らないよ 今日の勝ち』
(『真夏のストレート』甲本ヒロト(ソロシングル))

『今日走ってゆく 今走ってゆく 明日とかわからないし 別にいい』
(『紙飛行機』クロマニヨンズ)

『イメージとして定着しているのはブルハ時代』と書いたけど、自分としてはハイロウズ中後期〜クロマニの方がその傾向が強く、より自覚的に、メッセージとして確信的に歌っていると感じる。

『天国野郎ナンバーワン』にみる【今・ここ・自分】

既に十分かもしれないけど、もう一曲だけ取り上げたい(要旨的には同じなので読み飛ばし可)。
ハイロウズの『天国野郎ナンバーワン』。

一見シュールでナンセンスな歌詞だけど、特にこの曲は【今・ここ・自分】が表れていると思う。

『天国野郎ナンバーワン』 ーj-lyric.net

これもさわりだけ書くと、

『人間か?奴隷か?どうなんだ?
   ドブ川に慰安が流れてく』

と始まり、サビの歌詞は

『天国になんか行きたくないって
   つまらなそうだから』

これがどんな風に受け取れるか。
『天国になんか〜』の部分はシンプルだ。

これまで書いてきたように『死後の天国じゃなく、今が最高なんだ。ここが天国なんだ。』と(『天国野郎』という存在に託して)歌ってると理解出来る。

前半はというと、誰かに問いかけている。
『(お前は)人間か?奴隷か?どうなんだ?』

人に『奴隷か?』と問いかけるということは、その人が奴隷然としているからだ。
『奴隷然』とはどんな人間か?サビと対比させて考えると、『今・ここ』を天国とは言えない、『今・ここ』を享受できずにいる人間のことだろう。

『ドブ川に慰安が流れてく』は『今日のためじゃない今日』を『ドブ川』に例え、週末の休みを『慰安』と形容してると受け取れる。

歌詞には『1・2・3・4・5・6・7』と数を数えてる箇所がある。
『天国〜』というキリスト教の概念をもってきて、数字の『7』で連想されるのは暦の一週間。

今を享受できない『奴隷』が休日だけを楽しみに日々指折り数えながら過ごしている姿が思い浮かぶ。
『今がすべて』なら生きている時間を7つに分ける必要なんかない。

(『今だけが生きている時間 なのになぜ待っているのか』)

と、主な解釈はすでに書いてきたものと変わらない。
その中でも、この曲は特に対比として『奴隷』や『ドブ川』という表現があり、よく考えるとメッセージとして結構キツい。

多くの人は毎日我慢して働いて、休みや他の楽しみのために生きている。
『やりたくないことをするのが仕事』だし、『やりたくないことだから、頑張るのは偉い』という価値観にも繋がる。

この歌はそんな多数の人を、そんな立派な価値観を『お前は奴隷か?』と一刀両断する。

一般的に甲本ヒロトに批判家みたいなイメージはないと思うが、実は結構キツい言葉も使っている。

この曲では『そもそもそんなメッセージあるのか?』というような婉曲な表現になってるが、もっとストレートに歌ってる曲もある。

『不死身のエレキマン(ハイロウズ)』にはこんな歌詞がある。
なりたいものになれなかったんなら、大人のふりすんな

ここでもある哲学者との共通点が思い浮かぶ。
哲学者は終末に救いを求める人間を奴隷と呼び、ヒロトは週末に慰安を求める人間を奴隷と呼ぶ。

どちらも【今・ここ・自分】を生きられない人のことだ

余談とまとめ

これは余談だけど、黒人霊歌という様々なブラックミュージックの源流になったジャンルがある。
その黒人霊歌にはゴスペル(God Spell)という別名と、おそらくあまり知られてないもう一つの別名がある。

それはSlave Song(奴隷の歌)というもの。

黒人霊歌は南アフリカから連れられてきた黒人奴隷達によって歌われていたゆえの呼称だ。

比喩ではなく、現実的に【今・ここ・自分】を搾取された奴隷という存在。
そんな奴隷が歌う黒人霊歌の歌詞は、キリスト教が下敷きになっていて、奴隷という苦痛の日々の中、死後の救いを求めたものが多い。

あの『アメージング・グレイス』という有名な黒人霊歌も、歌詞は『死後の安寧』を祈るもの。

なぜ引き合いに出したかと言うと、黒人霊歌では『川』はヨルダン川を指し、神聖な場所を意味している。
ヒロトがそれを意識したかはわからないが、もしそんな文脈も知った上で『ドブ川に慰安が流れてく』という表現をしたなら、本当に確信的で的確でキツい風刺だなと思う。

ただ、日本もあの世を『三途の川』と言うし、どちらかというとそっちから来ているのかもしれない。
いずれにしても反感がこもった痛烈な表現だと思う。

話を戻して今一度まとめると、
ヒロトは天国をこの世を指して用いることで、特に強くあの世を否定し、同時に今を肯定している。

他にも『ヒューストンブルース(ブルハ)』では『神様にあいたくねぇ 天国に行きたくねー』という歌詞があったり、ソロでは『天国生まれ』という曲もある。

また、『オレメカ(ハイロウズ)』では『不完全な人間だけど 完全なオレだ』と歌ってる。

ヒロトはずっと【今・ここが天国】【自分が(自分の)主人、神】だと歌い、『今・ここ・自分』を体現し続けてる。

それは、『命』やら『人生』やらを最大限肯定し、最大限自分のものにしてる/しようとしている姿に見える。

『死んだ人よりもオレは大切だ
   死んだ人よりもオレは大切だ
   なぜならばオレは生きてるからだ

   死んだら死んでるだけだ
   地獄や死後の裁きとか
   そんなのはウソっぱちだぜ
   クサい金の臭いがする

   死んだ人よりもオレは楽しいぜ
   死んだ人よりもオレは楽しいぜ
   なぜならばオレは生きてるからだ』

ー 『死人』 ハイロウズ
『鉄カブト』の『あの人』とは

前提部分がだいぶ長くなった…。やっと本題。
書いてる本人が一瞬忘れかけたが、これは『鉄カブト』という歌詞についての文章である。

今まで書いてきたことを踏まえてもう一度『鉄カブト』の歌詞を見てみたい。

『命はいい 記憶だけは守ってくれ 鉄カブト
   あの人の思い出は守ってくれ 鉄カブト』

どうだろう。違和感を覚えないだろうか。

自分の命はいい!過去の記憶だけは守ってくれ!
あの人の思い出だけは守ってくれ!

他のバンドなら特に引っかかる歌詞でもないだろう。
でも、一貫して『今』を歌ってきたヒロトがどんな形であれ、自分を、命を蔑ろにするのはらしくない。

他にこれほど自覚的にそれを貶めてる曲は見当たらない。
【今・ここ・自分】ではなく、【過去・あの世・あの人】

さっき挙げた『死人』の歌詞とも全く真逆だ。
(『死んだ人よりもオレは大切だ』)

それはなぜなのか。

『命はいい 記憶だけは〜』は対比になっていて、後者(思い出)の重要性を際立たせるために前者(命)を表現上犠牲にしていると言える。

つまり、ヒロトは『あの人の思い出、存在』の大切さを訴えたいがために、30年間歌ってきた信念を投げ打っているということだ。

この点で、この歌詞がただの表面的な表現とは考えにくい。
並々ならぬ思いで作ったと受け取れる。

それほどまでに想いを込めて歌う人物は、と考えて浮かぶのが、やはり忌野清志郎である。

ヒロトは2005年の清志郎のアルバム『GOD』でデュエットしている。
その曲のタイトルは『Remember You』

歌詞は、次のようなもの。
『Remember You』 ーj-lyric.net

『remember you すべてを忘れたとしても
   remember you 君を憶えているよ』

『命はいい あの人の思い出は守ってくれ』と『すべてを忘れたとしても 君を憶えているよ』。

『REMEMBER YOU』は男女の恋愛のイメージだが、【あなたを忘れない】というメッセージは『鉄カブト』と同じ。
表現としても前者(すべて)と対比させて、後者(君の存在)を際立たせるという形も似ている。

つまり、『鉄カブト』は『REMEMBER YOU』を意識して作られた、清志郎に向けた一種のアンサーソングと言えるんじゃないだろうか。

そして、『あの人』が清志郎を指していると思う極め付けの理由がもう一つ。
それはアルバム『MONDO ROCCIA』の鉄カブトの次の収録曲にある。

鉄カブトの次の曲は『フンカー』。
この曲のイントロがもう、どう聴いてもRCサクセションの『雨上がりの夜空に』なのだ

デュエットソングを彷彿とさせるテーマと作り。
『あの人の思い出は守ってくれ』と歌って、次に流れるイントロが『雨上がりの夜空に』。

全く意図せず、そんなことが起こるだろうか。
全く無自覚に、そんなものを作るだろうか。

ヒロトは表現者としてそんなポンコツなのか。
到底そうは思えない。そんなはずがない。

長くなりすぎたが、それが自分が『鉄カブト』は清志郎を歌ったものであると考える理由である。

鉄カブトの矛盾と人間らしさ

これまで書いてきたことを踏まえて歌詞を見ると、他の部分もこんな風に読み取れる。

『届かない手紙を書く 知らない橋を渡る
   届かない手紙を書く 帰らない人もある』

橋はここでも三途の河を思い起こさせる。あの世への橋を渡り、帰らない人もある。
その人へ向けて届かない手紙を書く。
届かないとわかっていても書かないではいられない想いがある。

『雨乞いの真似事か 確かに水は足りないか』

雨乞いのように手を合わせ、死後の安寧を祈ってる姿が目に浮かぶ。
『真似事』なのは、信心などない自分の祈りなど所詮真似事にすぎなく、さんざん『あの世』をけなしてきたくせに、という自分への自嘲ともとれる。
『水が足りない』を『枯れるほど涙を流して』ととるのは感傷的すぎるだろうか。

『届かない手紙を書く 気付かない振りをして
   届かない手紙を書く 騙された振りをして』

あの世なんてない。霊魂も信じない。
そう生きてきたし歌ってきた。
でも今は気付かない振りをして。騙された振りをして手紙を書く。

『昨日までと違う人に なったような振りをして
 
   命はいい 記憶だけは守ってくれ 鉄カブト
   あの人の思い出は守ってくれ 鉄カブト』

【今・ここ・自分】を歌ってきた昨日までとは違う人になったような振りをして。
この曲でだけはこう歌わせてくれ。

自分の命さえいいから、あの人との思い出を守って欲しい。

 
『神様なんていないし、天国なんてものもない。
自分には今ここが全てで、過去も未来もどうでもいい。

でも、あの人はあの世へ渡り存在し続け、安らいでいてほしい。
そして、どうかあの人との思い出は消えないでくれ。』

この曲からはヒロトのそんな心情が伝わって来る。
それは矛盾した、理屈では割り切れない、とてもとても人間らしいものだと思う。

さいごに_01ー清志郎ではないとする意見に対する意見

『あの人』とは清志郎ではないとする意見もある。

理由として、清志郎の亡くなったのが2009年5月で、『MONDO ROCCIA』のレコーディングはその数ヶ月前に終わってるということ。

つまり、死ぬ前に作られた曲だから清志郎に向けたものではない、というもの。

おそらくこう考える方は近しい人にガン宣告を受けた人がいないんじゃないだろうか、と想像する。
ガン宣告をされるとその瞬間から、本人はもちろん周りの人の頭の中から『死』が離れることがない。

確認してみたら、清志郎がガンを発表したのは2006年7月。
この時からすでに少なからず死が頭をよぎるだろうし、2008年7月に再度ガンの転移を発表した時には、かなりリアルに死を覚悟したのは想像に難くない。

2008年7月の転移の発表から『鉄カブト』のイメージが浮かび始めて、2009年上旬にレコーディングするというのは十分考えられる。

自分も近しい人がガンを患った際は、亡くなるまでの数年間、毎日ふとしたタイミングでずっと『死』がちらついていた。
実際『届かない手紙』も書いて棺に納めた。

その体験もあって、自分は『鉄カブト』をそんな風に解釈している。

さいごに_02 『鉄カブト』と『エイトビート』

『鉄カブト』と同様のヒロトの思いが見える曲がある。
『鉄カブト』の解釈は絶対そうだと思うくらいの感じだし、根拠も割としっかりしてると思うけど(それでもどれ位納得してもらえるかはわからない)、次の解釈は想像として読んでもらえたらと思う。

(でも、自分ではやはり結構そうとしか考えられない位だったりする。)

『鉄カブト』と同様のヒロトの思い、というのは清志郎を意識して歌ってる、という意味。

曲は『エイトビート』。
『エイトビート』はクロマニヨンズの中でも屈指の生命讃歌。全身全霊で【今・ここ・自分】を謳ってるような歌詞だ。

『ああ 強く閉じて
   ああ ふさいでいても
   音速ジェット つきささる リズム

   遠く離れている
   ずっと昔のうた
   泣いているよ 笑ってる きょうも

   ただ生きる 生きてやる
   地上で眠り目を覚ます
   エイトビート エイトビート

   ああ ゆくえ知れずの
   ああ おたずね者が
   どこかでモールス信号たたく

   ただ生きる 生きてやる
   地上で眠り目を覚ます
   エイトビート エイトビート』

『エイトビート』 ーj-lyric.net

前半部分はそのまま清志郎の死を受けた状態のように思える。

『(死に)ふさいでいても、ロックはずっと鳴りやまない。
昔の清志郎の歌を聴いては悲しんだり楽しんだり。

でも何があっても生きる。ロックし続ける。

そうすれば、きっと清志郎もどこかで聴いていて応答してくれる。』

そんな淡い希望を抽象的に/強い意志を明確に表現した歌詞のように受け取れる。

さすがに『おたずね者』を清志郎とするのは根拠のない拡大解釈に過ぎるようだけど、雑誌でヒロトはこんなコメントをしている。

『〜でも僕はロックンロールは人類最大の犯罪だと思うよ。それは戦争以上だと思う、ロックンロールは核弾頭以上の犯罪だと思ってやってるよ。悪いけど。』

ー 『KAMINOGE vol.34』

ロックが人類最大の犯罪なら、清志郎は人類最大の犯罪者、おたずね者だろう。
『ゆくえ知れず』『どこか』は、『鉄カブト』の『知らない橋を渡る』『帰らない人もある』と同じく、あの世をイメージさせる。

エイトビートは『鉄カブト』の続きを歌っているようだと思う。

『鉄カブト』の『ただ死を悼み、思い出は忘れない』から一歩踏み出して『それでもただ生きる。歌い続けてやる』という宣言のようだ。

『鉄カブト』で『命はいい』と一時的に捨てた信念をリセットし、もう一度【今・ここ・自分】を歌に込めなおしているように思える。

それは表現者として、真摯でまっとうな態度だと思うし、また、必要な儀式だったのではないだろうか。

そう思うのは『ザ・クロマニヨンズ ツアー 2013 イエティ対クロマニヨン』というライブアルバムの曲順が、正に続きのように『19: 鉄カブト』『20: エイトビート』と続いているからでもある。

この曲順はたまたまでなく、一つの意志の表れのように思える。

同時にやや強引な解釈かもしれないと思うのは、『エイトビート』の発売は『鉄カブト』より前の2008年5月だから。
(クロマニヨンズの場合、実際どっちが先にできたかわからないけど。)

清志郎も亡くなる前なので、『どこかで清志郎が聴いている』というのもさすがに違う気もする。

ただ、作曲時は違ったとしても、作曲後そういう想いを込めて歌ってることもあると思うし、2013年発売の『ザ・クロマニヨンズ ツアー 〜 Live』ではそういう想いを込めて選曲したというのは考えられる。

最後、だいぶ歯切れが悪いけど、自分はそんな風に思いながらいつもこのアルバムを聴いている。